平和とは

日本では8月になると、平和が論じられます。

広島と長崎への原爆投下の記念、そして追悼、さらには終戦、あるいは敗戦の記念日と続く期間、「戦争はよくない!」「平和はすばらしい!」と、叫ばれます。

では平和とは一体なんなのか。

毎年、終戦記念日が近づくと高まる「8月の平和論」はいつも内向きの悔悟にまず彩られます。
戦争の惨状への自責や自戒が主体となrります。

自責はときには自虐にまで走ります。

人間の個人でいえば、全身の力を抜き、目を閉じ、ひたすら自己の内部に向かって平和を祈る、というふうでしょう。

こうした反応も自然であり、貴重ではあります。

8月の平和の祈念は戦争犠牲者の霊への祈りと一体となっているし、戦争の悲惨と平和の恩恵をとにかく理屈ぬきに訴えることは、それなりに意義は深いからです。

だがこの内省に徹する平和の考え方を日本の安全保障の観点からみると、重大な欠落が浮かびあがります。

平和の質が論じられない点がそれです。

平和を単に「戦争あるいは類似の軍事衝突がない状態」となんとなく定義づけるのが、日本の平和論のまず出発点です。

戦争のない状態の保持の絶対性を叫ぶ以上には、それにプラスしての守るべき平和の内容がまったく語られない点がさらなる特徴だといえます。

私の永年の記者活動では、サイゴン陥落の報道が最も強烈な体験でした。

1975年4月30日、南ベトナムの首都サイゴン(現ホーチミン市)は北ベトナム軍大部隊に攻略されました。

北ベトナム軍の精鋭は南ベトナム大統領官邸の鉄門をソ連製タンクで打ち破り、内部に疾風のように駆けこんで、革命旗を高々と掲げたのです。

世界を揺るがせたベトナム戦争の終結の瞬間でした。

そんな歴史の舞台を憑かれたように走り回っていた私は間もなく、北ベトナム軍将兵が旧大統領官邸の正面バルコニーに巨大なスローガンを掲げるのをみました。

黄色の地の横断幕にはベトナム語で「独立と自由ほど貴いものはない」と大書されていました。

ベトナム共産党(旧労働党)を率いたホー・チ・ミン主席が民族独立と共産主義革命の長く険しい闘争の過程で一貫して掲げた聖なる政治標語でした。

30年もの戦争が終わり、やっと平和が訪れた歴史の区切りに、平和という言葉がうたわれないことを一瞬、けげんに感じたものでした。

ベトナム民族独立闘争でのこの至上の言葉は、国の独立や民族の自由を得るためには平和を犠牲にしても戦うという決意の表明でした。

単に戦争がないというだけの平和よりは、独立や自由の方が重要だというのです。

フランスの植民地支配下でも平和ではあったわけです。

だが独立と自由のない平和は許容できない、求めるべき平和は独立と自由をともなった平和しかない、という信念の宣言でした。

その10年ほどあとに欧州でまたホー・チ・ミン主席の言葉を偶然、思い出させられました。

ソ連の軍事脅威に揺れ動く当時の西ドイツで、国防省高官からみせられた防衛白書に「わが国の平和政策は単なる平和の維持では十分とせず、自由、独立、人権尊重の維持を目標とする」という記述があったからです。

ベトナムとはおよそ異質な国のドイツでも、人権尊重という要因が加わるだけで、平和には独立や自由がともなわねば不十分、と宣言していたのです。

二つのケースに共通するのは、平和の内容に条件をつける姿勢でした。

戦争がなくても奴隷の平和、抑圧の平和、腐敗の平和では意味がないとする思考です。

特定の価値や体制を守るには平和を犠牲にして戦う場合もあるという宣言だともいえます。

一方、日本の平和論は戦後知識人の「平和問題談話会」による「なにに
も増して戦争を憎み、なににも増して平和を愛しつつ」との言明のように、戦争と平和を両極で絶対視するだけで、平和の質や内容を問うことはまずありません。

国民を守るという発想がうかがわれません。

「8月の平和論」にはさらにその傾向が強いのです。

繰り返しますが、戦争の悲惨と平和の恩恵とは永遠に語られるべきでしょう。

だが条件をまったくつけない平和の保持だけを唯一至上の目標とすれば、外部からのいかなる武力の侵略や威嚇にも抵抗してはならないことになります。

いかなる形の軍事衝突をも避けるためには、侵略者の求めにはすべて屈する以外にないからです。

たとえオウム真理教が外国の傭兵数千人の部隊で日本に攻撃をかけた場合でも、一切の抵抗はできないことになります。

日本もベトナムやドイツと同じ思考を、とまでは主張しません。

だが国際社会が一定の価値を守るためには実力行使もやむなし、と考える国々により構成されている現実だけは認識せねばならないと強調したいのです。

なぜなら日本の平和というのは日本と外部世界との関係だからです。

戦後50年、平和を考えるにも、みずからの姿勢をきりりとし、目を開き、外部に視線をすえながら国際社会に向かって平和を求めるという時期がきたのではないでしょうか。


引用元: 8月の「平和論」には何が欠けているのか:古森 義久:イザ!,
"http://chomon-ryojiro.iza.ne.jp/blog/entry/1734741/"