蛍の光の歌詞

普通は歌うことのない三番、四番を忘れないようにしよう。

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蛍の光の歌詞です
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    上西 俊雄

11月6日の日比谷野外音樂堂の集會、田母神塾生といふ歌ひ手の登場があった。サヤさん、ネットでみると sayaさん。

普通は歌はれることのない三番四番まで歌ふとの前置きでsayaさんが歌ったのは蛍の光。

ネットで歌詞を調べるとほとんどが制限假名字母表記。ウィキペディア
は小學唱歌集初編(明治14年11月24日付)掲載のものを掲げてゐて、假名のほかに漢字版といふのがある。わざわざ略體にしてあるが、正字體に戻して示す。

また二番二行目の「互に」は「互いに」を、四行め「歌ふ」は「歌う」を修正したもの。假名のはうでは「うとうなり」となってゐた。樂譜の場合など、かういふ書き方が實際に行なはれてゐたのであらうか。)


螢の光、窓の雪、
書讀む月日、重ねつゝ、
何時しか年も、すぎの戸を、
開けてぞ今朝は、別れ行く。

止まるも行くも、限りとて、
互に思ふ、千萬の、
心の端を、一言に、
幸くと許り、歌ふなり。

筑紫の極み、陸の奧、
海山遠く、隔つとも、
その眞心は、隔て無く、
一つに盡くせ、國の爲。

千島の奧も、沖繩も、
八洲の内の、護りなり、
至らん國に、勳しく、
努めよ我が背、恙無く。


歌詞については次のやうな變遷があったとある。

千島の奧も 沖縄も 八洲の外の 護りなり(明治初期の案)

千島の奧も 沖縄も 八洲の内の 護りなり(千島樺太交換條約・琉球處分による領土確定を受けて)

千島の奧も 臺灣も 八洲の内の 護りなり(日清戰爭による臺灣割讓)

臺灣の果ても 樺太も 八洲の内の 護りなり(日露戰爭後)


また、二番の「互に」を「かたみに」としたものもある。sayaさんもさう歌ってゐた。この方が典雅な響きがある。ひょっとしたらこれが稻垣千頴の元の歌詞なのかもしれない。


といふのも三番の元の歌詞は次の通りだったといふのだ。


<筑紫の極み、陸の奧、
わかるゝみちは かはるとも
かはらぬこころ ゆきかよひ
一つに盡くせ、國の爲。>


文部省の役人が「かはらぬこころ ゆきかよひ」が、男女の間で交はす言葉だと難じたために變更になったとあるからだ。

sayaさんの歌、三番四番、とくに四番のときは拍手が高かった。YouTubeでは

http://www.youtube.com/watch?v=wS9cA7bmW6c

で聽くことができる。



なほ、

http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=BGsEfOTMFXs

は2月2日の集會のときのもので、サクラサクラだ。

「にほいぞいづる」と歌ってゐる。これを制限假名字母表記で書くわけにはいかない。係り結びの助詞「ぞ」があっての連體形の「いづる」だ。
終止形「いづ」を「いず」とすることはできない。それで「朝日に匂う」となった。(1707號參照)


ふと氣になって國語辭書で引いてみた。何と「いず」で立項されてゐるではないか。但し説明はダ行下二段。つまりダ行動詞であることを變へるわけにはいかないのだ。あり得ない活用形を見出しにたてる、なんといふ倒錯だらう。

ソース:「頂門の一針」 2093号より