日本謝罪不要論の余波

平和条約を締結し保証も済んでいることを記事にして欲しくない。

------------------------------------
◎産経新聞より転載 昨年9月19日付 古森義久 【緯度経度】日本謝罪不要論の余波
------------------------------------
 米国の首都ワシントンではなお日本が過去の戦争での悪事を反省し、謝罪すべきだ、というようなテーマで講演やセミナーが開かれる。日本側でとくに新しい動きがなくても、日本を被告席におく枠組みでの糾弾の催しがなお続くのだ。

 つい1週間前にも「東京戦争犯罪裁判と今日の日本」という題のシンポジウムがジョージワシントン大学で開かれた。題名からでもスタンスの偏りが浮かび上がるようだが、講師には日本の外務省の元局長も入っていた。

 さて鳩山新政権の登場となると、日本側での戦争にからむ「謝罪」や「反省」はまた改めて、これまでよりは容易に表明されそうな気配である。ところがこうした従来の流れに逆行する「日本はもう謝罪すべきではない」と主張する論文が最近、米国の若手学者から発表され、ワシントンの日本関連論議にユニークな一石を投じる形となった。

 同論文は「謝罪の危険」と題され、大手外交政策雑誌「フォーリン・アフェアーズ」5・6月号に掲載された。筆者はダートマス大学助教授のジェニファー・リンド氏、日本と朝鮮半島の歴史や安全保障を専門とし、2004年に博士号を取得したばかりの新進の女性学者である。

 リンド論文は結論こそ明快だとはいえ、その理由の説明は屈折していた。主張の核心は次のようだった。

 「戦争での非道な行為を日本がこれからも対外的に謝罪することは非生産的であり、やめるべきだ。まず謝罪は日本の国内でナショナリストの反発を招き、国民の分裂をもたらす」

 「再度の公式の謝罪や国会での決議による謝罪というジェスチャーは、日本国民同士の衝突や分裂を招くため、避けるべきだ。そのかわり日本の政府も指導層も戦前、戦時に日本がアジア各地で不当な弾圧や残虐を働いたことを認め、反省せねばならない」
「日本はそのうえで戦後のめざましい復興、民主主義の活力ある確立、経済や技術の世界最高水準の発展を対外的に誇示すべきだ。現在と未来の平和的、民主的な役割を他の諸国に対して強調すべきだ」

 リンド氏は南京事件や捕虜の扱い、慰安婦徴募、731部隊三光作戦など日本が戦時に働いたとされる悪行の数々の「事実」を糾弾する側の主張どおりに全面的に受け入れる一方、歴史問題での和解には日本の謝罪や反省のほかに被害者側の前向きの対応が不可欠だと説く。

 「韓国の指導層は自らの統治の正当性を示すために日本をたたく必要はもうない。中国共産党も自らの統治の正当性を支えるために国内の反日感情をあおってきたことは知られており、国民の日本嫌悪はそれほど強いわけではないのだ」

 リンド氏はそのうえで日本に対しても西ドイツのアデナウアー方式の採用を提案する。同方式とは1950年代から60年代はじめまで西ドイツ首相だったアデナウアー氏がユダヤ人虐殺をすべて認めて反省しながらも、その非はナチスだけのせいにして、とくに謝罪はせず、一般ドイツ人の戦時の苦痛も強調しながらフランスとの和解を成しとげた経緯を指していた。

 中央政府が戦争の相手でもない一民族の絶滅を計画的に進めるなどという行為のない日本をドイツと同列におくことは不公正ではあるが、日本にもう謝罪をするなと勧める点は米国の学者としては異色だといえる。

 しかしこのリンド論文への反対論が同じ「フォーリン・アフェアーズ」9・100月号に編集長への投稿として短く掲載された。投稿者はワシントン在住の日本人ジャーナリストの土井あや子氏で、「日本は戦争や植民地支配で被害を与えた人たちに公式の誠意ある謝罪をなお述べる義務がある」と論じていた。

 現代の日本に対し米国人が「もう謝罪するな」と説き、日本人が「いや謝罪を続けよ」と求める。日本の歴史問題の倒錯した構図だといえよう。