奉祝 建国記念の日




オロモルフ号の航宙日誌4219『紀元節復活と田中卓博士の献身5』より

神武天皇紀元論――紀元節の正しい見方――』(日本文化研究会編/立花書房)

 ――が刊行されました。
 この本は、大阪の住吉大社の高松忠清宮司が熱烈にプロモートし、編集・刊行を若き日の田中卓博士が遂行されたそうです。

 企画から出版までわずか一ヶ月半というスピードで、当時の憂国の史家がいかに危機感を抱いていたかがわかります。
紀元節」賛成の論文集であり、執筆者は、平泉澄肥後和男樋口清之・葦津珍彦・小野祖教・田中卓・・・など、ベテランから若手まで二十五名の学者でした。
 田中博士は、この書が完成するとすぐに、三笠宮家に献上したそうです。
 殿下とは正反対の意見を集めた論集を献上するのですから、これも「諫言」の一種でありましょう。

(この論文集のなかで、葦津珍彦氏が、
・・・マス・コミの製作者たちが、このやうな偏見にとらはれてゐる限り、その報道の公正を期待し得ないのは当然である。紀元節復活を望む十数万の大衆が、全国的に大集会を開き決議をしても黙殺する。そして僅かに三十人か五十人の片々たるインテリ評論家が、小さな集会を開いて反対の決議をすると、三段四段の大きな見出しで報道する。国会に十数万通(一通に百余名の連署したものもある)の請願書が山積してゐても見向きもしない・・・
 と記しているのが印象的です。マスコミの偏向体質は昭和三十年代からだったと分かります)