陛下をパンダにする小沢・鳩山

陛下をパンダにする小沢・鳩山
平井修一

天皇の「国事行為」は内閣の助言と承認を必要とされ、法律の公布から儀式の執行まで10が定められている(憲法第3条、7条)。天皇は国旗・国家と同様の象徴であるから、生臭い政治・政略・政争から切り離した存在にしておくというのがGHQ憲法の意図である。天皇は政治から超越した存在、と言ってもいいだろう。

日々の政治と一定の距離を置き、ある程度隔絶した存在を保つために、大使・公使の接受に際しては「1ヶ月以上前に宮内庁に申し込む」ことが長年にわたって暗黙のルールになっていたようだが、小沢・鳩山政権はこれを破って中共幹部を天皇へ拝謁させた。

「そんなルールは誰が決めたんだ、どこにも書いていないじゃないか」と小沢はごり押しを正当化するが、文化というのは多くが不文律からなっている。一から十まで法律で律すると、それ以外なら法に抵触しないからと、いわゆる法の網の目をぬって悪事を働くやからがいるから、曖昧ながら十把ひとくくりで「公序良俗に反することはダメよ」とだけ法律では言っているのである。

人の迷惑になることはやめよう、夫婦、兄弟姉妹は仲良くしよう、伴侶以外と性交渉をもってはいけない、親は大事にしよう、人前で傍若無人の振る舞いはしてはいけない、子供のしつけはきちんとしよう、体はいつも清潔にしましょうなどというのは、どこにも規定されていなくても、それは不文律、道徳律という暗黙のルールで、時には法律以上に守らなければならないものなのである。

文化、民度というのはその不文律の浸透度であるといってもいいだろう。長年のルールにはそれなりの意味があり、これが守られなければ社会の秩序が崩れてしまう。「俺は俺、他人は他人で、他人なんて関係ねーよ、1ヶ月前ルールなんて知ったことか、天皇は政府にすべて従えばいいんだ」と小沢・鳩山は言っている。

天皇陛下の政治利用がすすめば、政権にとって都合のよい行事だけに陛下が人寄せパンダのごとくに駆り出されることになる。政権が陛下の「事業仕分け」をし、「不要」「見直し」をするのだ。不敬である。

それは2000年の歴史をもつ天皇の投売り、安売りで、価値を毀損するものだろう。陛下を、呼べばどこへでも万障繰り合わせて出て行くタレント並みに扱った小沢・鳩山は、厳しく非難されなくてはならない。小沢・鳩山は日本丸を操縦する資格にはなはだ欠ける不逞のやからと小生は断罪する。

「ガツンと一発」平成21年('09)12月16日第378号より