平和憲法と暴力装置

憲法改正を考える上で注意したい。
安保条約は現行憲法とはシャム双生児のように一体にして分離不能のもので、憲法改正なく日米安保を論じても意味がない」

「いわゆる平和憲法と暴力装置」について。

 仙谷官房長官の<暴力装置>発言が尾を引いている。この<暴力装置>発言は国会中継をリアルタイムで見ていたが、うかつにもその時は気づかなかったが、週末のTV時評番組でのリプレーを見てびっくりした。
自民党の丸川珠代参院議員が、仙谷官房長官を批判するのに、なんと「我々の平和憲法を否定するものですよ。謝まって済む問題ですか!」と言っていたことである。
暴力装置>発言批判は結構だが、彼女はその批判論拠の一つを「平和憲法」に求めているのである。 
―いったい自民党は護憲なのか、改憲なのか?
あたかも、超国家主義の時代の<軍隊>は暴力装置であったが、平和憲法下ではもはや<自衛隊>は暴力装置であってはならないと言わんばかりである。そう信ずるならば、自民党を捨てて、憲法九条の会で活動するほうがいい。
実は先日、三島由紀夫福田恒存の比較研究の講演会を聞いてきた。両者の差は少なくないが、安保条約は現行憲法とはシャム双生児(三島の用語)のように一体にして分離不能のもので、憲法改正なく日米安保を論じても意味がないという点で共通している。
 自決のわずか5日前の<楯の会>会員への三島講演の約二〇分の感動的なテープ(初公開とか)を聞いたが、この辺の論理が明確に述べられている。また講師によると、福田は、安保改定にあたって、憲法改正なき安保議論は無意味として沈黙を保ったという趣旨の話があった。
今わが国会にはブーメラン症候群が蔓延している。野党時代の民主党の自民党批判の構造を与党になった民主党が自民党に活用されて往生こいている状態である。民主も自民も著しくintegrity に欠ける。その場限りの論争をするので、立場が逆転すると一気につじつまが合わなくなる。
「ガラスの家に棲む者はやたらに石を投げてはならない。石を投げたいなら石の家に棲め!」
 後日、もし自民党が憲法改正の議論を推し進めるとしたら、今回の丸川発言は、必ずやブーメランとして返ってくるであろう。人材不足の自民党にあって丸川の評価は非常に高い。ある法案で丸川と打ち合わせをした、知り合いの実業人は丸川の能力を絶賛していた。
小生もそう思う。しかしもし丸川珠代が保守系政治家として名を成さんと欲すれば、憲法や安保の(すでに先人がなしてきた切実な)もっと根幹的議論に精通していなければならない。保守系政治家ならゆめゆめ平和憲法を論拠に暴力装置批判などすべきではない。
 政局技術そのものは所詮技巧に過ぎない。

ソース:「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」読者の声より