主権回復の日

一日も早く祝日にしてもらいた。

昭和二十一年元旦に発せられた「年頭、国運振興の詔書」について


「陛下、お尋ね申し上げます」高橋紘著より
記者:ただ、そのご詔勅の一番冒頭に明治天皇の“五ヶ条御誓文”と言うのがございましたけれども、これはやはり何か、陛下のご希望もあったと聞いておりますが。

天皇:そのことについてはですね、それが実はあの時の詔勅の一番の目的なんです。神格とかそう言うことは二の問題であった。  
 それを述べるということは、あの当時においては、どうしても米国その他諸外国の勢力が強いので、それに日本の国民が圧倒されるという心配が強かったから。
 民主主義を採用したのは、明治大帝の思し召しである。しかも神に誓われた。そうして“五ヶ条御誓文”を発して、それがもととなって明治憲法ができたんで、民主主義というものは決して輸入のものではないということを示す必要が大いにあったと思います。
 それで特に初めての案では、“五ヶ条御誓文”は日本人としては誰でもが知っていると思っていることですから、あんなに詳しく書く必要はないと思っていたのですが。
 幣原がこれをマッカーサー司令官に示したら、こういう立派なことをなさったのは感心すべき物であると、非常に賞賛されて、そう言うことなら全文を発表してほしいというマッカーサー司令官の強い希望があったので前文を掲げて、国民及び外国に示すことにしたのでありますが。

記者:そうしますと陛下、やはりご自身でご希望があったわけでございますか。

天皇:私もそれを目的として、あの宣言を考えたのです。

記者:陛下ご自身のお気持ちとしては、何も日本が戦争が終わったあとで、米国から民主主義だと言うことで輸入される、そういうことではないと、もともと明治大帝の頃からそういう民主主義の大本、大綱があったんであるという……。

天皇:そして、日本の誇りを日本の国民が忘れると非常に具合が悪いと思いましたから。日本の国民が日本の誇りを忘れないように、ああいう立派な明治大帝のお考えがあったと言うことを示すために、あれを発表することを私は希望したのです。


引用元: 「年頭、國運振興の詔書(人間宣言)」昭和二十一年一月一日 - 一燈照隅,
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