現地音カタカナ表記

メイル・マガジン「頂門の一針」 1873号より

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現地音カタカナ表記は勘辨してくれ
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上西 俊雄

現地音カタカナ表記、最近の例で言へば 1871 號 (4.4)「韓國メデイア
に踊る金正日訪中説」。次のやうな人名が出てくる。(表記は引用の際
も好みに從ふ。)

金正日キム・ジョンイル)總書記
金永南(キム・ヨンナム)最高人民會議常任委員長
金桂寛(キム・ゲグァン)外務次官

まあ、これらは漢字があるからよいが金總書記の三男で後繼者とされる
人はジョンウンとしかない。「金正日」と「後繼者」の二つを鍵に檢索
して正雲といふ表記を得た。もちろんこの場合、正字體でないと中國や
韓國のサイトのものはでてこない。

實は、昨日(4 月 3 日)の早朝、ラヂオを附けてゐたらキンシジュンと
いふ人のインタビューがあった。韓國の詩人とのこと。聞き手が名前を
現地音で言ふので解りにくいことおびただしい。

聞き手がフッカンドンといふとキンシジュンさんがキタカントウと日本
式に言ひ直してくれる、さういふところだけが音としてわかる。要する
に漢字語を外國の字音でいふのが無理なのだ。

抗日運動に殉じた朝鮮の詩人ヨンドンジュとその從兄弟ソンモンギュと
いふのも後で調べて、さう言ったはずと思ふだけで、ソンモンギュだっ
たかソンギュムンだったか寢ぼけながらもメモをとらうと用意したとき
にはもう記憶が定かでない。

後で調べてみると金時鐘尹東柱、宋夢奎だから日本式の字音ならキン
ジショウ、イントウチュ、ソウムケイとなるところだ(イントウチュは
イントウチュウと讀む人もあるかも知れない)。もちろん字音だけでは
駄目だから昔だったら漢字を説明しただらうと思ふ。何故さうしないの
だらう。

後で調べるにもカタカナだけでは何もでてきはしない。結局、韓國の詩
人の一覽から選んで金時鐘を知ったのだった。

閑話休題。昨日の日經夕刊に高校生に裁判員裁判の判決文を採點させた
との記事があった。

法教育の一環として、京都の高校生が裁判員裁判の判決文を採點し
たところ、「一度聞いただけでは頭に入ってこない」などと嚴しい
判決が言ひ渡された。

平易になったと考へてゐた司法關係者からは 「市民感覺とのず
れに氣づかされた」と反省の辯も聞かれた。二月 に京都教育大
附屬高校(京都市伏見區)であった法教育の公開授業。 (中略)
「一度聞いただけではすっと頭に入ってこない」「同人と 同日と
いふ言葉は耳で聞くと混亂する」などの意見が出た。

授業を擔當した國語科の札埜和男教諭は「判決文は格調の高さはあ
るが、高い讀解力が必要。裁判員裁判が始る前に比べ改善されたと
しても、市民にとってのわかりやすさにはほど遠い」と指摘。

授業 に參加した福岡高裁の森野俊彦裁判官は「相當分かりやす
くなってきたと思ってゐたので(生徒らの)判決はショック」と苦
笑ひした。

高校生が解らうが解るまいが關係ないだらうと思ふが、もし判る必要の
あるものなら高校生が努力して解るやうにならなければならない。判決
文の方を變へろといふのは逆立ちであり教育の放棄だ。

しかし、外國の字音を持込むのは問題の性質が違ふ。以前、明木茂夫
『オタク的中國學入門』のカタカナ現地音表記批判を紹介したことがあ
る。

第 1178 號(08.5.7))「缺損五十音圖の復元を(六)」參照

http://www.melma.com/backnumber_108241_4086976/

その明木さんから中京大學『國際教養學部論叢』の拔刷『地圖帳の怪』
(4) が屆いた。同封の小册子『オタク的翻譯論 -- 日本漫畫の中國語譯
に見る翻譯の面白さ』卷六の序文が判りやすい。

實はこの卷六は、夏休みの内に書き上げる豫定だった。ところがこ
のところ他の仕事に追はれてすっかりおそくなってしまった。で、
何をやってゐたかと言ふと、「地圖帳論」だったのである。

學校の社會科の教科書や地圖帳の中國地名が、中國語發音に基づいたカタ
カナで表記されてゐることに皆さんお氣づきだらうか。「チョンチン」だ
の「チョンチョウ」だの「チョンツー」だの「チンチョウ」だの、もう
カタカナばかりなのである。

これでは、我々中國語の教師でもどこのことだか分からない。語學的な誤りも多い。
さらに「ワンリー長城」だの「ター運河」だのといふ獨特の書き方は、間拔け以外の
何物でもない。

入試や採用試驗など、いろいろな試驗でもカタカナで出題されるやうになってゐる
やうだし、最近の中學生は漢字なしのカタカナのみで覺えさせられてゐるらしい。
うわ、こんなの覺えろってのか…。

で、誰がこんなことをはじめたのだらうと、文部省關係の文獻をい
ろいろ調べてゐたら、どうもこのカタカナ現地音表記を作った人た
ちが、當初からかなり變なことを言ってゐるのが分かってきた。

中國の地名に限らず、「地名表記の手引き」關係の文獻にはをかしな
ことがたくさん書いてある。例へば、「原語が『Ye』となってゐた
ら一律『エ』と書く」といふ原則を決めておいて、「だから『イェ
ルサレム』ではなく『エルサレム』と書く」と言ふ。

なるほど、それはよしとしよう。ところがその後、「よって『イェロー』は今後
『エロー』と書く」と堂々とおっしゃってゐるのである。は?エロ
ーって…。

 そればかりか「ゆゑに『Yemen』は『エメン』と書くこと
になるが、慣用として熟してゐるので『イエメン』と書くことにす
る」などとひとり相撲まで演じてゐるのである。

 他にも、「『紅海』は『レッド海』ではなく慣用により『紅海』とする」
とも述べてゐる。おいおい、誰が「レッド海」にしようなんて言ってるんだよ。

 それから「『Jo』は『ジョ』だが、『ジョルダン』ではなく慣用に
より『ヨルダン』にする」ともおっしゃる。あの〜、「ジョ」とい
ふのは英語式の讀みなのでは?「ヨルダン」を「ヨルダン」と書く
のにそんな理屈は要らないと思ふぞ。

私の本來の專門は中國古典なのだが、このところ副次的なテーマと
して、「漫畫翻譯論」と「地圖帳論」とを竝行してやってゐる。

漫畫の翻譯論はやってゐてとても樂しい。ところが地圖帳の方は、社
會的な影響の大きさを考へるととても笑ってゐられない。

ツッコミどころ滿載の地圖帳關聯文獻を精讀してゐると、殘念ながら、
地圖帳のカタカナ表記を作った人たちの中には、本稿で採り上げてゐる
漫畫の翻譯家たちの知的レベルには遠く及ばない人たちが交じって
ゐたと感じずにはゐられない。

もし地圖帳のカタカナ問題にご興味がおありならば、拙稿「地圖帳の怪一〜四」
(中京大學『國際教養學部論叢』及び『文化科學研究』所收)をご覽いただければ
さいはひである。

戰後の國語行政がこんな結果になってゐることは恐らく文部當局も御存
知ないのではあるまいか。國聯地名會議やその專門家會議 (United
Nations Group of Experts on Geographical Names = UNGEGN) にでるの
は國土地理院や外務省國際協力局專門機關課の人たちであって、文部科
學省は我不關焉らしい。ここは漢字表記の國際化を圖るべきところでは
ないか。

1869 號によれば、四條畷の戰で有名な四條畷市では傳統的な地名を繼承
すべきだと一貫して「條」の字を使ってきたが、警察や府立高校、國道
の道路標識、そしてJR驛などでは新字體であったので、大阪府に要請
し、市條例を制定。

その結果、それまで新字體を使ってきた警察署、保健所、國道標識、公
立高校など民間も含め公的機關のほとんどが、「條」に改めたといふか
ら大したものだ。

JR片町線の驛名だけは新字體だといふが、JR全體としてみても三鷹
や鹿兒島など表外字を使はざるを得ない以上、字體は正字體で通すしか
ないと覺悟すべきだらう。