NHKクローズアップ現代は、天安門事件の大虐殺がなかったと報じている

1989年6月4日に北京市にある天安門広場に民主化を求めて集結していた学生を中心とした一般市民のデモ隊に対して「中国人民解放軍」が武力弾圧をした事件である。

(特別寄稿)天安門事件から二十年

止まぬ銃声、刻まれたキャタピラー=実録「天安門事件
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足立誠之


20年前の天安門事件当時、私は天安門広場の東南と道一つ隔て塀に囲まれた23号賓館の中の東二楼を社宅としていました。
6月4日の事件現場に最も近い場所にいた日本人であったはずです。そしてかなり刻明に日記をつけていました。
6月4日の朝目が覚めると午前6時。猛烈な銃声が続いていました。
そしてベランダへ出てみると銃声の中を白いシャツ姿の人達が天安門広場の方から押し出される様子がはっきりと見えました。銃声の激しさで一時は床に伏せたほどです。
日記によれば午前8時にようやく銃声もやんだと記してありますから、少なくも2時間に亘り銃撃が続き膨大な銃弾が発射されたことになります。
つまり一秒間に一発とすると7200発、2秒に一発としても3600発の弾丸が発射されたことになる計算です。

その翌日5日の午後にそこを脱出しますが、それまで耳にしたことは広場の方から聞こた物凄い兵隊の鬨の声。そして目にしたことは門の鉄の格子を通して見えた猛烈な勢いで前門東大街を銃を撃ちながら駆ける兵士の横顔でした。戒厳軍の兵隊達はピリピリとしており大変興奮していたことは深く記憶に残っています。
後述の「天安門広場で死者なし」論では銃を発射しながら長安街を行進してきた兵隊、その後も猛烈に興奮していた兵隊達が"ピタリ"と銃撃を止め学生とノ話し合いとその後行なわれた学生の広場からの撤収を静かに見守ったということになるのですが、そんなことが本当にありうるのでしょうか。
私が天安門事件についての報道、記録に注目する理由はこうした刻まれた実体験からきています。そしてそのごの報道が下に述べるように実体験から得たものと余りにかけ離れた方向に導かれていることからです。


▲キャタピラの跡がくっきりと

更に実体験を綴ります。
5月20日に北京に施行された戒厳令はその後解除されることは無くその年11月まではカーキ色の軍服を着た戒厳軍が、それ以降は青緑の制服を着用した武装警察が北京を管理していました。
天安門広場は封鎖され一般人は入ることは出来ない状態が続きました。翌1990年1月11日戒厳令が解除されることが発表されます。
戒厳令解除当日の早朝、日本人スタッフ3人と共に天安門広場に向かいました。
英雄記念碑の最上部には外套をまとった武装警察の隊員が銃を持ち直立不動で立っていました。

英雄記念碑の石段は下から3段目まで戦車か装甲車のキャタピラのあとがくっきりと刻まれていたのです。
カメラを持ってきていたスタッフが私に「撮りますか?」と尋ねましたので「構わないから撮れ」とこたえました。それでその時の写真は今でも残っています。
ただ我々が撮影した英雄記念碑のキャタピラ跡は確か翌日には跡形もなく修復されていたのです。
そしてその数年後英雄記念碑の一角は鎖で仕切られ誰もはいることができなくなってしまいます。

私の実体験を纏めると次の様に成ります。

!)6月4日、午前6時から8時まで少なくも2時間猛烈な銃撃が続いたこと。尚私が目を覚ましたのが午前6時でありその時には既に銃声が聞こえておりいったいいつ銃撃が始まったのかは定かではありません。
!) 午前6時過ぎに天安門広場から白いシャツ姿の一団が前門東大街へと押し出されていたこと。
!) 戒厳軍の兵隊達は興奮し猛り狂っていたこと。
!) 英雄記念碑の石段には戦車か装甲車のキャタピラ跡が刻まれていたこと。 天安門事件後ほど無く中国当局は、事件における死者は三百余人、天安門広場では一人の死者も出ていない、と発表しました。

当時この発表を信じる人は殆どいませんでした。


▲虐殺はなかったと言い始めた日本人、日本のテレビ

それからしばらくして中国問題の専門家とされる横浜市立大学矢吹晋教授の「天安門広場では死者は出ていない」という一文が読売新聞に掲載されました。
その根拠は戒厳軍が発表したものとそれを肯定するような情報をつなぎあわせたもので、要約すれば、広場に残っていた学生は戒厳軍の説得と警告に従い全員が午前5時までに広場から去ったというものでした。

早速、この文について中国人の何人かに感想を聞きましたが、共産党青年団の関係者を含めてこの内容を肯定する人はいませんでした。
反応のひとつはこうした文は人々の関心を天安門広場で死者が出たか否か、ということに向けさせ軍が人民に銃口を向け殺戮したという本質から目を逸らそうとする試みであるとして憤っていました。

事件後、多くの本が出版されました。その総てを読んだわけではありませんが、あの朝の長時間にわたる銃声に言及したものは当時NHKの依頼で取材に当たっていた著名なジャーナリスト、ハリソン・ソールスベリー氏だけでした。(同氏著NHK出版「天安門に立つ」)。


▲NHKも「虐殺はなかった」と「クローズアップ現代」。

事件から5年後、NHKの「クローズアップ現代」は事件の"真相"を探るという内容の報道を流しました。
その内容は先に述べた矢吹教授の説とほぼ同じで事件当時学生達と共に英雄記念碑にとどまっていた台湾のシンガーソングライターが自らの体験として戒厳軍との話し合いがつき自らを含めて学生達は全員平和裏に広場から撤退したと大げさな身振りで説明している様子が映されていました。

極め付きは当時の"秘話"としてスペインの放送局が撮影したというビデオの放映でした。それによるとスペインの放送局のクルーの車が明け方前の暗闇の中を天安門広場へ向けて東から裏道を通り近づく様子が映し出されていました。
それは全く静寂そのものの映像でした。こうして「クローズアップ現代」も天安門広場で死者ゼロの結論で締めくくられました。

事件から5年も経ってからこうしたビデオが世に紹介された背景は何なのかは分かりませんが、天安門事件で「広場では一人も死者は出なかった」ということを世間の常識にする有力な番組であったといえるでしょう。

こうした流れが続いたこともありその後私は実体験を纏めて幾つかの出版社に持ち込みましたがいずれも不発に終わりました。
膨大な情報洪水の中にいる我々が"真実""事実"として認識し信じているものはその99.9%がNHKを初めとするマスコミなどを通じて得られるものです。
それが如何に頼りにならないものか。今私にはあの時に記した日記と手元に残っている英雄記念碑に刻まれたキャタピラを撮した写真をごく限られた人に見せることぐらいしかもう残されていません。

先に申し上げた林思雲氏の"避諱"についての言葉が思い出されます。
「中国人にとって歴史と言うのは事実の積み重ねでなくともいいのです。それどころか国家にとって都合の悪いこと、不名誉なことは一切明らかにしてはいけない。それが国を安定させる、それで世の中が治まるという考え方です。そのために積極的に嘘をつくことは倫理的に正しい行為なのです。中国人がものごとを大げさに言ったり、平気で嘘をつい
たりするのを、ただ相手を騙すためなのだと考えるのは大きな間違いですね。中国人が嘘をつくのは自分のためと言うより、家族や国家のためという場合のほうが多い。これは中国人にとって動かしがたい伝統的な心性であって、それを知らないと中国人の歴史認識は理解できません。」(『WILL・別冊』5月号)。

ほんの海一つ隔てた隣国の人々がどんな人々なのかさえ日本では知られていません。
思い出されるのは初めて中国ビジネスに就いたとき、先輩の一人が言った言葉、「今に中国の奴隷にされちゃうよ」です。

出典:
宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
    平成21年(2009年)6月3日(水曜日)
         通巻第2615号

NHKクローズアップ現代は、天安門事件の大虐殺がなかったと報じている。

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