virtual memoryを訳すと

私は「virtual」を「仮想」と訳すのにすごく抵抗がある。

「virtual」って英語本来の意味は、「実質上の」「実際上の」というような意味だ。「表面的にはそうではないが実質的にはこれなんだ」というような時に使う。

「virtual memory」を「仮想記憶」と訳すと「実際は存在しないメモリ」であるかのように思える。現実的に存在しないのなら無くても構わないようにすら思える。確かに物理的には存在しないから実在はしないんだけど、かと言って不要というわけでもなく、「virtual memory」本来の意味は「(ユーザーアプリなどが)実際に使うときのメモリ」みたいなニュアンスで「無くても構わないメモリ」とは、ちょうど真逆の意味だ。

「仮想」という言葉が、「存在しない」という否定っぽい語感なのに対して、「virtual」本来の意味は「実質上(は、これだ)」という肯定っぽい意味だからどうもギャップがある。

virtual reality」にしても、これを「仮想現実」と訳すと、「現実とは違うの空間」のように思えてしまうが、「virtual reality」本来の意味としては「現実そのものではないが実質上は現実とみなせる空間」だ。

C++の「virtual function」を「仮想関数」と訳すと、C++を知らない人が聞くと、ありもしない、実際には呼び出されないような関数なのかなと思ってしまう。でも知っての通り、virtual functionは呼び出されたときに、派生クラス側の関数が実行される。たぶんこの名前をつけた人は「普通の関数とはずいぶん挙動が違うんだけど、普通に呼び出して使えるわけだし、実質的に関数だよねー」みたいな気持ちでvirtualと名付けたのではなかろうか。(知らんけど)

ともかく「virtual」を「仮想」と訳すといろいろな誤解が生じて理解の妨げになる。でもコンピュータ用語としてはすでに「仮想」という訳語が定着しているのでいまさら変えるわけにもいかない。ならば、「仮想」という訳語を見るごとに「実質上の」と頭のなかで変換するとスムーズに理解できるのではないかと思ったりするのだが。


ソ-ス:virtualを「仮想」と訳していいものか - やねうらおブログ(移転しました)

TRON(トロン)を思い出す。

BTRONの何が凄いのかというと、何と言っても、仮身/実身モデルという画期的なハイパーテキスト構造を持っていることによってOSの自由度が高いという点にあります。

仮身(かしん)とは、いわばハイパーリンクのボタンのようなもので、仮の身、ということです。
そして実身(じっしん)とは、データ本体を意味します。

一つの実身(データ)に対して、複数の仮身(ハイパーリンク)からハイパー構造を持ってリンクされる、という点がこのアーキテクチャの凄いところなのです。

単なるコンパウンド(複合)ドキュメントの手段にとどまらず、全く新しいハイパーテキスト管理環境を提供しているのです。


ソ-ス:wise9 › 君は伝説の和製OS 「超漢字」を知っているか!?


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