共通通貨

ギリシャ危機で丹羽春喜先生の考察をおもいだした。

「単一共通通貨」(各国の固有通貨の廃止)の決定的な矛盾
 新内閣の首班、民主党鳩山由紀夫代表が、組閣直前の時期に執筆した論文「私の政治哲学」が、『ボイス』誌9月号に特別寄稿として掲載され、注目を集めている。その鳩山氏の論稿で示された諸種の政策構想については、現在、各方面からの賛否両論で、激しい議論が交わされているわけであるが、経済学的な観点から見た場合、この鳩山論文で表明された最も危険な政策構想の一つが、「東アジア共同体」の形成にともなう同地域の「共通通貨制度」の構築というビジョンであろう。
 たとえば、金融政策のことを考えてみよう。ヨーロッパのEU圏諸国において、通貨同盟も締結されて共通通貨「ユーロ」紙幣の発行・流通が開始されたのは2002年の1月からであった。そして、通貨同盟への加入を保留している英国を別にすれば、EU加盟各国それぞれにおける在来の固有通貨の発行や流通は行なわれないことになった。ドイツのマルク、フランスのフラン、イタリーのリラ、等々、EUに加盟している各国固有の伝統的な通貨が、みな、廃止されてしまった(英ポンドは従来どおり発行され流通している)。したがって、英国以外のEU加盟各国は、金融政策を独自に行なうことができなくなってしまったのである。
 そのようなわけであるから、たとえば、ブリュッセルの「EU本部」とフランクフルトに在る「欧州中央銀行」(ECB)の金融政策担当者がEU圏の全般的な平均的景気動向に基づいて決めた利子率は、言うまでもなく、「ユーロ」圏全域に一律に適用されているわけである。したがって、同じく圏内ではあっても、不況・停滞に苦しめられているような国ぐにの多くにとっては、その利子率は高すぎ、不況・停滞からの脱出を困難にする。逆に、同じく圏内の、平均的な景況以上に景気過熱やインフレ傾向に悩んでいるような国ぐににとっては、その利子率は低すぎ、そのことが、それらの国ぐにのインフレ傾向をますます助長することになってしまう。
わが国のマスコミは、ほとんど報道していないが、上記のごとき矛盾は、EUの宿痾なのである。鳩山プラン「東アジア共同体」における単一の「東アジア共通通貨」制度なるものも、現行のEU「ユーロ」システムに倣って形成されるものであるとすれば、その宿痾も同様に内含されてしまうことにならざるをえないのである。 
 すなわち、鳩山プランにしたがって「東アジア中央銀行」が北京あたりに設立されて、その金融政策担当者が「東アジア圏の共通利子率」を決めることになるといった状況を考えてみると、たとえば、それがわが国にとっては高すぎる利子率となって、わが国の経済が不況・停滞から脱却することができなくなり、他方、逆に、たとえばタイやフィリピンや韓国の経済にとっては、その利子率では低すぎて、それらの国々がインフレの進行に苦しむといった矛盾が、随所に生じてしまうことが不可避となるであろう。なにしろ、単一の「東アジア共通通貨」が発行されて流通することになる鳩山プラン型の「東アジア共同市場圏」では、EUに倣うとすれば、鳩山氏も示唆しているように、加盟各国の固有通貨の発行権限が、基本的には放棄・凍結され、金融政策を各国それぞれ独自に策定・実施することが不可能にされてしまはずであり、このような矛盾が、どうにもならなくなるわけである。

 財政政策も無政府主義・国家廃絶主義の犠牲になる
財政政策の場合は、どうか? そもそもEUでは、加盟国の政府が赤字財政による財政政策を実施することに対しては、厳しい制限が課せられている。鳩山プラン「東アジア共同体」においても同様であろうが、なんとかそれを押し切って、たとえば、わが政府が、わが国の経済を不況・停滞から脱出させることを目指して、総需要拡大のために、積極的な財政政策を行なおうとするような場合を考えてみよう。
 もちろん、このような場合に、筆者(丹羽)が提言してきたような「国(政府)の貨幣発行特権」の発動を財政政策のための財源調達手段とすることは、できなくなる。なぜならば、上記のごとく、EUに倣って「東アジア共同体」でも、加盟各国の「貨幣発行権」が剥奪されてしまうことになっているはずだからである。
 しかし、市中消化の国債発行を財源とした財政政策の策定・実施は、一応、許されることになるかもしれない。ところが、この場合にも、金融政策によるバック・アップが不可欠なのである。なぜならば、国債の発行と市中消化は、国債購入代金の形で民間資金を国庫に吸い上げることであるから、民間で資金不足が生じてしまい、銀行による貸ししぶり、貸しはがしなども激化するといった「クラウディング・アウト」現象が生じて、かえって景況を悪化させてしまう怖れがあるからである。
 これを防ぐには、当該国の中央銀行の「買いオペレーション」(中央銀行が民間の有価証券を買い取り、その代金として、資金を民間金融市場に注入する施策)のような金融政策を同時に行なって、政府による国債の発行・市中消化を財源とする財政政策をバック・アップする必要がある。あるいは、戦前のわが国で、高橋是清蔵相と深井英五日銀総裁が行なったような新規発行国債の中央銀行による引き受けをやれば、いっそう有効であろう。こういった金融政策によってバック・アップされれば、国債発行にともなう「クラウディング・アウト」の危険は、回避されうる。
 しかし、鳩山プラン「東アジア共同体」における「単一共通通貨」システムにおいては、上述のごとく、各国固有の通貨の発行権が剥奪され、結局、わが国をはじめ加盟各国は、金融政策・貨幣政策をそれぞれ独自に策定・実施することが不可能になってしまうのであるから、国債発行に依拠する財政政策を金融政策でバック・アップするといったことも、行ないえないことになってしまうわけである。
 それでは、北京あたりに設立されることになる「東アジア中央銀行」が、たとえば、わが国の国債発行を財源とする財政政策をバック・アップしてくれるであろうか? 言うまでも無く、それは、まず、望み薄なことであると、思わねばならない。
 要するに、EUや鳩山プラン「東アジア共同体」のような広域経済圏が、単一の「共通通貨」システムとして形成され、加盟国それぞれによる固有通貨の発行の権利という「主権国家の基本権」が剥奪されてしまうことになれば、加盟各国では、それぞれの財政政策や金融政策の発動をなしえなくなり、それによって国民をインフレやデフレの嵐から守ることもできなくなるわけである。また、財政政策、金融政策を欠いたマクロ経済政策はありえないのであるから、加盟国それぞれが、マクロ政策の策定・実施によって国力・国威の増進・伸張をはかることもできなくなる。
 すなわち、単一の「共通通貨」システムを基軸として形成される「広域経済共同体」では、結局のところ、加盟各国は「真の主権国家ではありえなくなる!」のである。これは、まさに新自由主義新古典派経済学流の無政府主義・国家廃絶主義にほかならない。英国が、現在もなお、EUの通貨同盟には加盟せず、英ポンドの廃貨を拒否して、その発行・流通を続けているのは、英国が「真の主権国家」であり続けようとする国家意思を持ち続けているからに、ほかならない。

 為替レートの「ハンディキャップ供与機能」放棄の暴挙
 さらに、EUのようにほとんどヨーロッパ全域に亘り、あるいは、鳩山プランのように東アジア全域に亘るといった「広域経済共同体」での単一の「共通通貨」システムには、いっそう本源的に憂慮されるべき問題点がともなわれている。それは、為替レートの「ハンディキャップ供与機能」が失われるということである。
 実は、為替レートの重要な役割は、ゴルフ競技におけるハンディキャップと同様であって、たとえば、生産性がきわめて低い後進の発展途上国であっても、その国の通貨が国際通貨市場(外国為替市場)で安く評価される──つまり、その国の通貨が安く評価された為替レートが決まる──ために、その国は、その産物を世界市場に安値で売ることができるようになり、結局、そのような後進の低生産性国でさえもが、貿易による国際分業に参加して、経済的に自立しうるようになるわけである。
 これが、為替レートの「ハンディキャップ供与」機能である。低開発国であろうと、先進国であろうと、それぞれ、あるいは多く、あるいは少なく、この「ハンディキャップ供与」を受けるのであり、これによってこそ、国際分業が成り立ち、人類文明が存立しえているのである。しかし、言うまでもなく、「ユーロ」という単一共通通貨を導入し、それぞれの国の固有の通貨を廃止してしまったEU諸国は、このような為替レートによる「ハンディキャップ供与」を受けることができなくなっているのであり、国際分業の利益も、十分には享受することができなくなってしまっているのである。そして、鳩山プランによって「東アジア共通通貨」システムが実施されるようなことになれば、わが国をはじめとして、東アジア圏諸国も、EU諸国と同様に、この重大な欠陥に直面しなければならないことになるであろう。
 各国それぞれに、通貨の発行権があれば、どの国も、理論的には、財政政策・金融政策によるマクロ経済コントロールを適切に実施することによって、完全雇用・完全操業の繁栄を保つことが可能である。そして、現行のフロート制(変動為替相場制度)のもとでは、為替レートの変動が調整作用を演じて、そのような完全雇用・完全操業状態に適応した形で、貿易収支も自動的に均衡するという経済法則的な傾向が働く。投資や投機のための資金の流出入がある場合でも、為替レートとともに利子率の変動(内外金利差の変動)が調整機能をはたして、貿易収支だけではなく、国際収支も、早かれ遅かれ、自ずと適切な程度に均衡する傾向がある。このような「神の恵み」ともいうべき絶妙な経済メカニズムを十分に活用して、全世界人類の経済的福祉を飛躍的に向上させようと工夫されたのが、ケインズ的政策なのである。
 しかし、EUの「ユーロ」システムや鳩山プラン「東アジア共通通貨」制度の場合には、このような「絶妙きわまるメカニズム」を利用することができなくなる。もちろん、そのような状況でも、国際通貨市場では、たとえば「ユーロ」や「東アジア共通通貨」の米ドルに対する為替レートなどは形成されるであろう。したがって、EU や「東アジア共同体」に加盟している各国は、そのような「ユーロ」や「東アジア共通通貨」の米ドルに対する為替レートを所与として、それに適応しうるように、それぞれの国の経済水準(総需要)を調整しなければならない。しかも、財政政策や金融政策を用いることができない状態で、それを強行しなければならない。それは、多くの場合、はなはだしい苦難を意味するであろう。
 それに失敗すれば、「ハンディキャップ」を与えられていないその国の産業が競争力を失って、全面的に壊滅してしまうことにもなりかねない(1989年に東独が西独に合併されたとき、それまでの「安く評価されてきた東独マルク」による「ハンディキャップ」が失われたために、東独地域では、全面的な産業の壊滅が発生した)。逆の場合には、その国から外国への(とくに圏外への)、膨大な物財やサービスの流出、あるいは、所得の流出が生じてしまうことになる。いずれにせよ、そのような状況の発生は、はなはだしい悲劇であろう。

 「国家の基本権」を護持せよ 本稿では、筆者(丹羽)は、EUの「ユーロ」システムについて、過度に厳しく批判的に見てしまったかもしれない。なんといっても、EU圏は、全般的に、文化的・経済的に同質的であり、伝統的に結びつきも強い地域である。 生活水準較差なども、それほど大きくはない。つまり、EUの「ユーロ」システムは、そういった好条件に恵まれて、多くの難点を蔵しながらも、なんとか機能しているのである。
 しかし、東アジアでは、そのようなわけにはいかない。鳩山プランで構想されているような「東アジア共通通貨」システムは、EUの「ユーロ」の場合よりも、はるかに苛烈な悪条件山積の状況に直面しなければならないであろう。
 このように考察を進めてくれば、もはや、結論は明らかである。すなわち、鳩山構想にあるような単一広域通貨としての「東アジア共通通貨」システムなるものを形成させるようなことを、絶対にさせてはならないということである。英国が「ポンド」を保守し続けているように、わが国は、「円」の発行権を断固として守り、廃貨されてしまうような事態を、なんとしてでも食い止めねばならない。
 通貨発行権こそが、自衛権と並んで「国家の基本権」の最重要なものの一つである。これを固守し、活用し続けることこそが、わが国を再生・興隆させるための、不可欠な第一歩となるのである。