皇室に対する敬称

マスコミの用法は無茶苦茶。

道足別嚴橿根大人・鈴木重胤翁『閑窓獨語』に曰く、
「(或人の曰く、)『神武紀・仲哀紀』、と。かくの如く、天皇の御名をいひすてにする事、古學者には似つかはしからぬわざなり。公式令を何と見たるにや。そもゝゝ物學ぶ物の本意は、鬼神の情□を窺ひ、天下の大道を知り、君臣の大綱、皇統の紹運を明らめ、經世のみちを講ずべきを、かくなめげなる書法は、何事ぞや。『神武天皇御紀』、また『神武天皇紀』とも、略してはかくべし。なんぞ、君上の御名を、私にみだるゝや。近世古學者流にものゝかたはなる事を禁しめて、漢心々々と口くせに云へど、かやうなるなめげなる事をば、心ある儒者はせぬ事也。それにても、まさりたりとや」と。


 以下、『増補・皇室事典』より抄出するも、少しく工夫せり。

●誤り易き用語例(×=不可)

○拜謁仰付けらる・謁を賜はる・賜謁。×拜謁を賜はる・御拜謁
○奉答(言上・奉送・奉迎など)した。×奉答申し上げた(字句重複)
○稜威(みいつ)。×御稜威
○皇族方の場合は、御參内・御伺候(但し用語上「參内あらせられ」等、御の字なしでもよい)。
○皇族方の場合は、御陪乘・御陪席。臣下の場合は、陪乘・陪席。
○陵名を申し上げない場合は、御陵または山陵と申す。多摩陵(たまのみさゝぎ)と云ふが如く、陵名を記す場合は、御の字は不要。
○劍璽。別々に申す場合は、寶劔・神璽。御劔(天皇の御佩刀)・御璽(天皇の御印)は、寶劔・神璽では無い。


●「御」の字不要の例

○天の字のつく語(天覽・天機など)
○聖の字のつく語(聖慮・聖旨・聖徳など)
○叡の字のつく語(叡覽・叡慮など)
○勅の字のつく語(勅語・勅命・勅旨・勅使など)
○詔の字のつく語(詔勅・詔書・大詔・優詔など)
○宸の字のつく語(宸翰・宸慮・宸襟など)
○鳳の字のつく語(鳳輦・鳳駕など)
○玉の字のつく語(玉體・玉座・玉歩など)
○幸(みゆき)の字のつく語(行幸・巡幸など)
○啓の字のつく語(行啓・還啓など)
○下に御の字のつく語(出御・入御など)
○賜の字のつく語(賜餐・賜謁・下賜・賜物など)
○優諚・令旨・鹵簿・台臨・行在所・納采・臣籍降下・臣籍降嫁・祭粢料・觀櫻會など
○朝見・謁見・拜謁(皇族方にも御の字は不要)


●「御」の字のつく例

○御親祭・御親拜・御親臨・御親裁・御親書(親臨・親裁などは、慣例として御の字なしでもよいが、その他はつけた方が宜しい)
○御告文(おつげぶみ。ごかうもんと訓むは不可。但し皇族方の告文および憲法告文・典範告文は、こくぶんと訓む)
○御祭文(ごさいもん。ごさいぶんと訓むは不可)
○御尊像・御尊影・御軫念(御の字なしでもよいが、つけた方が宜しい)
○御名代・御代拜・御沙汰書・御影・御寫眞・御像・御肖像・御統裁・御統監・御臨場・御野立所・御泊所・御宿所・御講書始・歌御會始(御歌會始でも差支ない)
○御陪宴・御陪食(天皇臨御あらせられ、御宴または御食事に陪席仰付けられること。但し皇族方が臣下への場合、「仰付けらる」とせず、「御陪食を賜ふ」と用ゐる)


 愚案、近年「ご皇室」なぞと申し上げる御方、殊に宗教關係に多く見られるが、年來、些か可笑しいのではないかと、獨り存じ寄つた所、一兵士翁の言擧げに曰く、

「英霊を口にする時、丁寧語のつもりで「ご」をつけて、「ご英霊」という風潮がありますが、おかしいからやめなさい。「お社長」というようなものです。「英霊」が尊称です。それと「英霊たち」という、「たち」という言葉は俗語と並列語なので、これもやめなさい。「英霊」は複数形なので、「たち」をつける必要もなく、また失敬にあたります。確かに合祀祭の祝詞奏上の一文に、「英霊たち」という言葉はありますが、それは神々に対して、人間側の卑称として使われています。小生らにしてみれば、聞き苦しい。靖国神社の広報でも、ずいぶん注意していますが、やはり若い神官が多いので、つい「たち」をつけてしいまいがちです。皆さんが正道にもどしてください。東條由布子さんが、テレビなどで「ご英霊」とよく口にされているので、正しい呼称のように思われていますが、「英霊」と直裁的に口にするのは、ご婦人には言いにくいので、東條さんは「ご英霊」と言われているのでしょう。あの方は言葉がきれいなので、耳障りが良く聞こえますが、それでも間違いは間違いなのです。戦前は、ご婦人方が英霊のことを口にするのははばかれるきらいがありましたから、なかなか難しいんですね。とりあえず、下々の一般人である皆さんが、「英霊たち」・「兵隊たち」・「彼らは」・「ご英霊」、これだけは禁止事項にされることが望みです。‥‥松平永芳宮司が最も嫌ったことだ。「ご皇室」は無礼。皇の前に出る言葉は、日本語にはない」と。

 洵に然り。小生は「御説の通り、「ご英靈」は、「ご皇室」等と共に、宜しからずと存じます。「御」の一字は氣をつけたきものですね」と應じました。小生が一兵士翁に御挨拶申し上げた、當に最初の出會ひでありました。「御皇室」・「御英靈」については、一兵士翁の口酸つぱく仰る通り、過ぎたるは及ばざるが如し、却つて慇懃無禮と存じます。如何してもと云ふ方には、「皇大御室」・「英御靈」をお勸め致します。然し此の漢語呼稱は、一般に不通ですね‥‥。



●「宮城」の御呼稱

○宮城
 東京の皇居を申す。「皇居御造營落成に付き、自今、宮城と稱せらる」(明治二十一年十月二十七日、宮内省告示)、「宮城」(大正十年八月一日、宮内省告示・世傳御料名稱)とあり、即ち【宮城は、皇居の固有名詞】である。「大内山」とも申すが、大内山は、もと山の名で、京都府葛野郡御室の北嶺をいふ。宇多天皇の離宮のあつた處である。往古、皇居を大内と申し上げたが、山の名も同じであつたから、遂に皇居の別稱となつたといふ。

○宮城の古來の御呼稱
 禁廷・禁中・大内・大内山・雲上・雲井・雲居・内裡・内裏・禁裡・禁裏・九重・九禁・百敷・大内裏・内・宮門・禁門・宮闕・禁闕・鳳闕・北闕・龍闕(闕は宮門のこと。今は轉じて宮中を申し上げるに用ゐられる)・皇城・帝城・鳳城・皇居

○宮城の御呼稱について
 昭和十四年十月、興亞記念日をめぐつて、「宮城遙拜」か、「皇居遙拜」か、一定してはどうかとの説が起つた時、宮内省一官吏は、次の如く朝日新聞(昭和十四年十一月十日)に發表した。「
 『宮城』なる語は、明治二十一年十月二十七日、告示せられたる東京の皇居に限つて用ひられる固有名詞である。從つて東京の皇居を指稱し奉る場合には、『皇居』といふ抽象的な普通名詞をもつてするよりも、『宮城』といふ固有名詞をもつてすべきであると考へる。
 『古例に依る固有の皇宮名の制定されるまでの暫定的稱呼としては、宮城よりは、むしろ皇居の方が穩當だ』と説いた人もあるやに聞くが、『宮城』こそは、現皇居御造營落成に際し、古制に據り沿革に徴し、勅定せられた固有の皇居名である。古來『宮城』なる語を用ひた文獻を擧げれば、『令義解』卷一の後宮職員令・『大寶律』の衞禁律・『延喜式』の左京京職・『三代實録』卷二十四の清和天皇貞觀十五年十月十六日の條・『朝野群載』卷十一廷尉の崇徳天皇得長壽院落慶に依り大赦を行ふ勅、等々があり、諸家の説としても、『拾芥抄』・『制度通』が擧げられる。近くは明治五年五月十四日、岩倉特命全權大使以下へ御委任状の中や、寺島大辨使派遣の御信任状の末文にも、『東京宮城』と用ひられてゐる。
 之を要するに、『宮城』なる語は、古より皇居の意味に用ひられて居つたことは疑ひない所であり、加之、現在に於ては、【登極令その他の諸法令をはじめとして、條約・勳記・御信任状・御認可状等、すべて『宮城』なる語を用ひられてゐる】ことは、今更ら申すまでもない所である」と。


●一般皇族の敬稱
 「皇族」とは、天皇を御中心として、其の御近親たる御一族にして、皇室(皇家=皇室典範上諭、皇親=令制に見ゆ)に屬せられる御方々を申し上げる。
 「皇族各殿下」・「各皇族殿下」、何れでもよい。殿下をつけない場合は、「皇族方」と申し上げる。なほ【御喪儀後は、正式には殿下の敬稱を用ゐない】が、普通には當分の間用ゐるを可とする。

○宮號
 皇族は何宮と申し上げ、一般では、皇族各殿下が事實上分れて御一家を立てさせられてゐるやうに解してゐるが、【皇族制度の御精神では、皇室は一家族】であらせられる。それでは「宮號」とは何であるかと申せば、たゞ甲の皇族と乙の皇族とを分別されるための御稱號であつて、御家名(御苗字)では無い。親王が御成年に達せらるれば、御稱號を宣賜の御沙汰があるが、これが一般で申し上げる宮號である。この場合に於ては、天皇が其の御方を御血統にお近い方々の御一團の御中心として認められ、宮號(宣賜の御稱號)を立てさせられるもので、民間の分家とは、全然異なるのである。

○御稱號
 正式には宮號を申すのであるが、なほ親王・内親王御誕生の場合、御命名と共に賜はる「御稱號」がある。これは御呼名(御幼時の御愛稱)とも申すべきもので、宮號とは全く性質を異にする。
一、宮號・御稱號
 例へば秩父宮は宮號、敦宮は御稱號。文書に記す場合、用語上、見出しには殿下をつけないで差支えないが、記事中には必ず殿下をつけるべきである。
一、御名
 例へば崇仁親王。直接に御名を記す場合は、必ず殿下をつけるべきである。なほ照宮成子内親王殿下と申し上げるが、照宮内親王殿下とは申し上げない。
一、宮號(御稱號)の起原
 今日では、宮號は天皇陛下より賜はる所であるが、古く宮號の起原について承るに、中世以降、皇族方の臣籍に降下せられ、或は佛門に入らせられること多きに及び、世襲親王家と云ふものが出來て、その御嫡流だけが御代々宮號を稱せられた。後世に四親王家と申し上げるのがそれで、伏見宮桂宮有栖川宮閑院宮を申し上げる。當時、この四親王家以外にも、青蓮院宮・上野宮・常盤井宮などの宮家があらせられたが、これらは御自ら稱せられたもので無く、一般から申し上げた尊稱であるとも傳へられる。


引用元: 皇室に對する敬稱を學ぶ。,
"http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t7/6"