なにも伝えないマスコミ

いまや情報はインターネット等から知るしかない。
しかし、YouTubeの力は凄い。
マスコミ(テレビ、新聞)は11月6日の抗議デモも完全に無視。以下 西村慎吾前衆議院議員の報告。

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  西村真悟のコラム
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尖閣映像を見た人々のデモ行進へ
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                      平成22年11月 7日(日)

                     元衆議院議員 西村真悟
 
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十一月六日は、日比谷野外音楽堂に四千名を超える人々が集まって、「頑張れ日本」(田母神俊雄会長)ら主催のチベットウイグル南モンゴル満州そして台湾の諸民族と共同して中国共産党を打倒する集会が開かれ、午後四時前に銀座を経て大手町までデモ行進、その後有楽町駅前で夕闇のなか街頭集会。参加者は、四千五百名を超えた。
私は午前八時十七分の新幹線で上京し、十一時過ぎから約一時間、新聞記者さんの取材を受け、午後一時から開会される集会にでて、最後の有楽町集会まで参加した。

まずこの集会の特色は、開会時の三千人が起立して横六メートルの国旗に敬礼し国歌「君が代」を合唱したことである。
またデモ出発時には、四千五百名が会場にいたが、日比谷から銀座そして最後の有楽町まで、これほど多くの人々が日の丸を掲げて集まり行進したことは、戦後初めてではないだろうか。
先の十月十六日の集会とデモ行進の際、香港のテレビ会社の記者(実は大陸側)の取材を受け、「集まった人たちは、どこの組織からの動員ですか、その組織を教えて下さい」という質問を受けた。
この質問は、同日、中国内陸部で計画されていた「反日デモ」の実態を前提にした質問であり、明らかに「語るに落ちた」ものであった。
つまり中国内の「反日デモ」は、「組織の動員」によって行われており、「ネットを通じて集まった」などは嘘である。では、中国のデモは、どの組織の動員か。言わずと知れた、中国共産党である。
そこで私は、この中国人記者に、「知らん、ここの人々は自由に参加している」、と答えた。
案の定、この十六日のデモを中国では、「日本の右翼のデモ」と非難していたが、「香港の記者」は、この裏付けにきていたのだろう。しかし、何の裏付けもとれなかったはずだ。
そこで六日の集会とデモであるが、この度も中国と菅内閣に怒った日本国民が自由に集まったものである。
ここにおいて、この秋の「頑張れ日本」の一連の集会とデモは、国民がすでに「戦後から脱却」している姿を象徴しているのではないかと思う。最初の十月二日のデモの様子を、アメリカのウォールストリートジャーナルは、「従来にない国家意識の高まり」とカラー写真入りで報道したが、その通りである。
この時、我が国のマスコミは、デモを無視して一切報道しなかったのであるが、その理由は、育った体制の関係上、デモの真実を正確に報道できないからである。
何故なら、戦後体制のなかで育ち安楽に購読者を指導しているつもりになっている我が国のマスコミは、「右翼の暴走」は報道できても、普通の国民の国家意識の高まりや国を愛する思いや中国に対する怒りを報道する能力がないからである。さらに、普通の国民が、「核保有」のプラカードを掲げてデモをしている姿など報道できるはずがない。
つまり日本のマスコミは、私に取材してきた香港のマスコミと同様、中国共産党の傘下にあるのである。

さて、集会とデモに参加した数千の人々は、全て前日にユーチューブに流れた尖閣周辺海域における中国漁船衝突の映像を観ていた。
これで勝負あったのである。国民が知ってしまったら、勝負があったのである。
あれを観た後では、数日前に、自分たちだけが観れるという特権意識を顔にぶら下げてたった数分に編集された映像を得意になって観ていた衆参の予算委員会理事達が馬鹿面に見える。
彼らは、自分たちだけが観れたという前提で、「やはり国民に公開すべきではない」とか、中国漁船の行動が思ったより穏やかだったとか、かすっただけだったとか言っていた。
その中には、断じて、全国民に全ての映像を公開すべきであると強調する者はいなかった。

しかし全国民が映像を観た後では、自分たちだけが観たという予算委員会理事達がアホに見えると共に、映像を国民に隠していた菅内閣は、やはり中国共産党に隷属しひれ伏している内閣だったことも明らかになった。これが勝負あったということである。
つまり菅総理とその内閣は、中国共産党言論統制を我が日本に受け入れていたのである!
これは何時も言われるように、「中国を刺激しない」というような幽かに主体性が残る理由からではない。菅内閣はこともあろうに中国の配下に、我が日本を組み入れていたから映像を隠していたのである。

菅内閣と民主党は、すでに国民が観てしまった映像を、国民が見れるようにした者がけしからんとして捜査しはじめるらしいが、これこそ、「おととい来い」である。馬鹿馬鹿しいことこれ以上のものはない。
この内閣はすでに死んだのである。
もし生きているなら、菅内閣が決断すべきは、全映像の国民への公開である。民主主義国家において、国民が知るということがどれほど重要なことが、少しは自覚したらどうか。
従ってこの映像を国民に見せた者は、国家に忠誠を誓う真の意味の「公務員」である。
国民に隠し続けている菅総理と菅内閣の面々は、国家に対する忠誠心がなく支那の手下として自らの利害のみに関心のある似非公務員の漢奸、菅である。

奸いや菅総理と奸の閣僚は、九月二十四日に中国船長を釈放して、世界注視のなかで、尖閣周辺を日米安全保障条約五条に言う「日本の施政の及ぶ地域」から「中国の力の及ぶ地域」に移行させた。同時に共産党独裁国家の中国の言論統制下に、民主国家である我が国を組み入れていた。
まさに祖国に対する裏切りであり、漢奸の所業、許し難い。

最後に、夕闇のなかの有楽町で私は次のように言った。
最初の元寇において何故日本は「いざ鎌倉」と一団となったのか。それは鎌倉から西に遠く離れた対馬で壮絶な玉砕があったからである。
対馬西海岸の浜に上陸した二万の蒙古軍に対し、対馬の日本人は全力を挙げて戦った。宗助国、歳六十八歳ら八十騎の武士達は、二万の蒙古軍に突撃し玉砕したのである。宗助国玉砕の報は、狼煙で太宰府に伝えられ太宰府から鎌倉の北条時宗に達した。これが、初めて日本が一団となった時の姿である。
今、中国が尖閣から沖縄を奪おうとしている。
我々は、戦わねばならない。
また全日本は一丸となろう。何故なら「傲慢無礼者、共に天を戴かず」(元寇の歌)だからである。
(了)