小野田寛郎 :『わが国の進むべき道を求めて』

『わが国の進むべき道を求めて』

               財団法人「小野田自然塾」理事長  小野田寛郎


 皆さま、こんにちは。小野田でございます。今から32年前に日本に帰ってまいりました。それからブラジルで10年間、大体予定通り牧場を完成いたしました。そこで、今までの人生を振り返ってみますと、いうまでもないことですが、人間はなぜ生まれてきたかというと、生きるため、あるいは子孫を残すために生まれてきたのであって、決して勝手に生まれてどうこうということではないという思いがします。

 我々は生まれてきたときに国や親を選べませんので、世に生まれてきたこと自体が運命でありまして、生まれてきたからには生き通さなければならない。これが私たちの人生であります。運任せで生きていくのではなく、時代がどうあれ生きるためにはどういう心掛けのもとで行動していけばよいのか、これが今日お話ししたい内容であります。

 将来に向けて何を受け継いでいくのか。私は国のない民族・根のない民族ほど哀れなものはないと思います。今問題にされているイスラエルは、ようやく二千年を経て建国しましたけれども、まだ問題は続いています。一度国を失ってしまうと容易ではないですね。また、追われたパレスチナにも言い分があります。双方収まりがつきませんので、国なきユダヤ人はユダヤ教を中心に固結が強いですが、根がないのですから金力に頼って生存しようとした。このことで、ヨーロッパで除け者にされたように思います。お金に頼ったことが裏目に出たのが、ユダヤ人のたどった道ではないのかと思います。

 私たちはこの大八島に生まれて、また子孫がこの国で生きていく。そうしたことを望めば、先祖から受け継いできた伝統とか文化とかを子孫に申し送っていく。それが本当の道ではないでしょうか。


戦前の価値観が一変してしまった

私の子どものころと現在とでは、時代が違うといいますか、戦争に負けた結果アメリカに左右されてしまった。戦争に負けて以降、それまで日本が持っていた価値が全く塗り変わってしまった、捨ててしまったと思います。憲法や教育勅語、そしてまた、日本には神道という考え方がありますが、神に感謝するのであって、いわゆる他力本願な宗教ではないのです。自分で考える。神が見ておられるから自分を律していく。神がどうこうしろと神社で教えられた覚えがないです。

 そうした日本の道徳観が、明治になって教育勅語にまとめられましたが、戦後はそれをはずしてしまった。だから日本人は何を道徳規範として教えてよいか分からなくなったといえます。外国では、しっかりとした子どもたちは親に教会に連れて行かれ、そこで道徳的なこと、神との約束事を教えられるそうです。日本はそれを怠ったのです。

 戦後の日本人は、アメリカの日本弱体化政策によって自由と権利のみを主張されてきた。その反対にある重さ、責任とか義務を教えてこなかったのです。これでは動物と同じです。むしゃくしゃしたら事件を起こすということです。

 このように人問の踏み行う道を教えてこなかった戦後60年が、現在の世相に反映している。どの業界に限らず、自分の欲望をただ大きくしていった結果が現代であると思います。ですから、憲法も教育基本法も直してもらいたい。


戦場で味わった個の弱さ

 自由と権利ほどありがたいものはないですけれど、ここでは個の弱さについてお話ししたいと思います。

 私はブラジルの牧場では拳銃を二丁待っていましたが、これがあるから安心というわけではないのです。大勢に襲われたら銃など役に立たない。個は集団には勝てないことははっきりしています。牧場の支配人のカウボーイたちも銃を持っていますが、私が襲われたらこちらに向って待ち弾を全部撃てと教えています。加勢が来たと思わせることによって敵を追い返す。つまり私も集団に属させて守ろうとしているのです。これが、近郷近在といった規模の集団に拡大していって、集団の安全保持意識が働いていく。具体的には牛の盗難防止のパトロールとかです。

 個人の弱さは、戦場で嫌というほど味わいました。

 戦時中のルバングでのことです。私はジャングルにおいて、味方がいないところで自分の力だけで生きてきたと外見上は見えるかもしれません。しかし、決して自分一人の力で生きてきたわけではないのです。

 なぜかというと、まず着るもの、人間は裸では生きていけないです。食べ物も生では無埋です。火が必要です。火の起し方は、現地住民が、竹を使って火を起こしているところを見て学習しました。これも人の力を利用しています。そして雨が降れば服が濡れるので乾かさなければならない。敵に見つかるので小屋は建てられない。常にテントでの移動生活です。これが続くので服はボロボロ。そうなると住民の服を奪取するしかない。私には織物は作れない。お金のかわりに銃の弾を撃ち出すことで調達したわけで、結局は社会の恩恵を得たのです。最近のニートなども家族の支えなしでは生きていけないのです。


人間は一人では生きられない

 ルバングで敵が上陸してきたとき、私には三人の部下がいました。召集兵でありますし、中にはのんびり者で便い物にならない者もいましたけれども、当時は天皇陛下の赤子(せきし)をお預かりしているのが指揮官であると考えまして、使い物にならんと放り出すわけにもいかないので、何とか戦死しないように心掛けました。

 結局その兵士は投降したので、内心ほっとしました。足手まといだったのです。そして今度はこちらから攻撃に出ます。山から反撃を繰り返した結果、現地住民は栽培していたバナナを放り出して逃走します。バナナの栽培が止まり、我々は肉だけでは生きていけないので、自分で自分の首を絞める結果になってしまったのです。

 再び住民がバナナの栽培をはじめたのはそれから5年後で、それまでは細々とした生活でした。このように敵であっても住民の力を借りなければ生きていけなかったのです。

 また当時生きるうえで必要なこととして、病気の不安がありました。医者も薬もないのですから、とにかく病気をしないこと、そのためにはしっかり食べなければいけないのです。しかし小銃と弾しかないのです。逆に小銃と弾がたくさんあるお陰で生きながらえたともいえます。

 病気で怖かったのは、生水によるアメーバ赤痢。煮沸かした水を水筒につめ、トイレもなるべく少なくするようにしました。なにしろ捜索犬を森に送りこまれ尿の臭いで居場所を探されるのが一番危険なわけで、穴を掘って用を済ませます。危険を避ける意識があれば、目に日に用をたす回数も滅ってくるものです。人間の体は都合良く変化してくれるのです。その体験からすれば、今の日本は果たして自分で自分の身を守ることができるのか疑問に感じます。

 精一杯生きようとして、それでも死を覚悟しながら目的を達成する気待ちで遇していると、考えられないようなカが出てくるものです。普段の自分が、自分のすべての能力・力ではないのです。私は、日本に帰って来て、そうしたことを子どもたちに伝えるのですが、特に目的意識を早く持って過ごしてしほしいのです。目的が目標となり夢となれば、子どもたちは進んで自主的に努力していってくれるでしょう。「君たち、どうする?」は、キャンプを通して子どもたちに目的意識をもってもらうのが趣旨でした。

 今日は戦争体験を通して一番いいたいことは、人間は一人では絶対に生きられないということ。社会の恩恵を受けて生きてきたということ。だからどうすればよいのか。まずは家庭から取り組まなければいけないのです。絆という言葉がよくいわれますが、親が子を殺すのは親として自覚がないから、子どもが邪魔になったら殺すのでは親ではない。

 絆は相手を信頼すること、これが前提になります。今の子どもたちは群れるのが下手です。友だちが出来るかどうか心配だったと感想をいう子が多いです。これは人とつながっていくことが苦手といいますが、賢いせいか、自分のあらを隠すために窮屈になっているのではないでしょうか。

(平成18年11月24日 「神道青年会教養研修会」における講話の要旨)


引用元: http://www.geocities.co.jp/WallStreet/4669/onoda.html