東京裁判で清瀬一郎弁護士が無条件降伏ではない事を主張



東京裁判で清瀬一郎弁護士が無条件降伏ではない事を主張しています。
ところがいつの間にか、日本は無条件降伏したと教科書でも間違って教えるようになりました。
この事も正す必要があります。
このような間違いを江藤淳が著書「忘れたことと、忘れさせられたこと」の中で書いています。

去る七月三十日、外務省が、戦後外交機密文書の第四次公開を行った際、それを報じたある全国紙(毎日新聞)の解説記事を読んでいて、私はわが眼を疑わざるを得なかった。その記事はニカ所にわたって、看過すことのできない重大な事実の誤認をおかしていたからである。
その第一の箇所には、《……日本側はポツダム宣言が無条件降伏であり、「大東亜共栄圏」の指導者を亡命させる"能力"がないことに、当初気がついていなかったフシもうかがえる》(太字引用者)
と記されており、第二の箇所には、《敗戦に賠償はつきものである。無条件降伏となり、米軍が占領軍として進駐してきた時、多くの日本人は巨額の賠償を覚悟した》(太字引用者)と記されている。
しかし、この記述のうち私が傍点を附した部分は、いずれも明らかに事実と相違している。
ポツダム宣言は、そもそも日本に無条件降伏を要求しなかったし、それを受諾した日本は、当然のこととして連合国に無条件降伏したわけではないからである。
この問題について、私は、『終戦史録』(全六巻・北洋社刊)の解説や拙著『もう一つの戦後史』(講談社刊)などで、繰り返して指摘して来たが、ことが日本敗戦の原点にかかわる事柄なので、煩をいとわずに重ねて確認しておきたい。ポツダム宣言を受諾したとき、日本は決して、無条件降伏したわけではない。ポツダム宣言に明示された諸条件を受け容れて、ともかくも主権を維持しつつ降伏したのである。
右の解説記事の記者は、おそらくポツダム宣言の本文を読んだことがないか、不正確にしか読んでいなかったにちがいない。もし本文を参照していれば、かりにも私が指摘したような初歩的な事実の誤認をおかし得たはずがない。なぜなら、ポツダム宣言第五項は、「吾等ノ条件ハ左ノ如シ(Following are terms.)」として、第六項以下の条項に降伏条件を明示し、「無条件降伏(unconditional surrender)」なる語が用いられているのは第十三項においてだけで、それもただ一カ所「全日本国軍隊ノ無条件降伏(the unconditional surrender of all Japanese armed forces)」という文言において用いられているだけだからである。
つまり、ポツダム宣言を受諾した結果「無条件降伏」したのは、「全日本国軍隊」であって日本国ではなかったのである。これは決して無意味な言葉の遊戯でもなければ、私の誰弁でもない。この事実の上には今日の日本の存立がかかり、殊に対ソ関係においては、わが北方領土返還要求の合法性がかかっているのである。
その意味で、ポツダム宣言は文反古のなかで死文化してはいず、今日の国際関係の現実に脈々と生きつづけている。われわれは、一方で日本の「無条件降伏」を認めながらソ連による邦人シベリア抑留の不法を鳴らすことはできず、北方領土返還要求の正当性を主張することもできないのである。
ところで、『アメリカ合衆国外交関係文書・一九四五年・ベルリン会議』所収第一二五四文書「国務省覚書」(一九四五年七月二十六日の宣言と国務省の政策との比較検討)を一見すると、ポツダム宣言発出当時から米国務省がこの宣言の性格を正確に把握し、それが従来の国務省の政策の抜本的な変更を意味することを認識していたことが明らかである。
もともと「無条件降伏」の構想は、米大統領フランクリン・ローズヴェルト南北戦争の戦後処理にヒントを得て、着想したものだといわれている。それはまず一九四三年一月二十六日、カサブランカ会談終了時の記者会見において、対枢軸国方針として声明され、同年十一月二十七日のカイロ宣言において、「日本国の無条件降伏」という文言に特定された。
この基本方針が、ポツダム宣言における「全日本国軍隊の無条件降伏」に後退を余儀なくされたのは、?ローズヴェルトの病死、?日本軍の予想外な頑強な抵抗、?連合国問の思惑の変化等々の理由によるものと考えられる。これについて米国務省は、前記「覚書」において、戦勝国の意志を一方的に戦敗国に押しつけようとする従来の「無条件降伏」方式が、ポツダム宣言の結果重大な修正を加えられたことを認め、次のような見解を下している。
ポツダム宣言は降伏条件を提示した文書であり、受諾されれば国際法の一般規範によって解釈される国際協定をなすものとなる》
つまり、ポツダム宣言は、日本のみならず連合国をも拘束する双務的な協定であり、したがって日本は、占領中といえどもこの協定の相手方に対して、降伏条件の実行を求める権利を留保し得ていたのである。
いうまでもなくソ連は対日参戦と同時にポツダム宣言の署名国に参加し、この「協定」の拘束を受けている。ソ連の邦人シベリア抑留が不法だったのは、早期帰還を約束している宣言第九項に違反していたためであり、わが北方領土占拠が不当なのは、ポツダム宣言が領土不拡張を掲げたカイロ宣言の精神を承継しているにもかかわらず、その原則を侵害しているためである。
もし冒頭に引用した解説記事の記者のいうように、日本が「無条件降伏」をしていたのであれば、われわれがポツダム宣言署名国であるソ連に対して何等の請求権を持ち得ないことになる。今日、わが国の北方領土返還要求が不当だというジャーナリストは、少くともこの日本にはいないであろう。そうであれば、日本が「無条件降伏」したなどという謬説をただちに去って、敗戦の原点を今一度虚心に見詰め直してもらいたいと思う。
戦争の敗け方にも、いろいろな敗け方がある。敗けたからといって事実を曲げ、必要以上に自らを卑しめるのは、気概ある人間のすることとは思われないのである。
(サンケイ新聞昭和五十三年八月十日付「正論」)