腹立たしいこと

桐花大綬章に河野洋平が選ばれたこと。
日本を貶めた人間ではないか。

米下院に提出された慰安婦問題をめぐるでたらめな対日非難決議案をきっかけに、いま再び平成5年の「河野官房長官談話」が注目を集めています。この談話のいい加減さや弊害については、イザの中でもたくさんの人が指摘されていますが、それでは肝心の河野洋平氏自身はどう考えているのか。

 産経はこの問題について、過去に何度か河野氏にインタビューを申し込みましたが、いろいろと理由をつけて断られています。そこで、河野氏が自民党の「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(現在は会の名称から「若手」がとれています)で平成9年に講演した内容を、ここで紹介したいと思います。ちょっと古いですが、河野氏の考えはそうは変わっていないと思います。これは、同年に出版されたこの議連の活動を記録した「歴史教科書への疑問」(展転社)という本に収められているものです。

 ちょっと面倒かもしれませんが、拙ブログの昨年8月28日のエントリ「河野・慰安婦談話と石原元官房副長官の証言」と合わせて読んでいただければ、より分かりやすいかと思います。原文はもう少し長いので、少し端折りました。

 《河野氏 (前略)こうした問題は決していたずらに時間をかけてゆっくり、いわゆる引き延ばすようなことをすべきではないと。調査はやはり速やかにやるべきだということで調査を行ったわけですが、その調査の段取り、それから何省の何課にどういう資料があったかというのはいま十分申し上げるだけの資料は私の手元にはありませんが、官房長官として外政審議室を督励をして、関係各省、それからたしか役所だけではなかったと思いますが、資料がありそうな場所は相当幅広く当たったことは事実でございます。
 そこで、あったか、なかったか、という問題になると、はっきりあったと言えるのは、いわゆる慰安所というものがあったということははっきりいたしました。慰安所というものがあって、なぜ慰安所をつくったかについてはいろいろ理由もあるわけですが、それは置くとして、慰安所というものがあって、そこに働く女性がいたということもはっきりしている。
 それがはっきりして、慰安所があって、いわゆる慰安婦と言われる人がそこに働いていた。強いて言えば「働かされていた」と言っていいかもしれません。いや、それは公娼というのがあって、ビジネスでやっていたので、という説明もありますが、慰安所における女性に対する管理をどういうふうにするかというような資料などを見ると、やはり管理の下に仕事をしていた。自由はかなり拘束されていたと思える部分がある。
 その拘束されていた理由はいろいろあって、例えば情報が漏れるといけないとかいうことも理由の一つだと思いますし、それ以外の理由もあったかもしれません。いろいろな理由があって自由が束縛された。本人個人の意思でどこにでもいける、つまり、もういやになったから辞めます、ということが言えたかというと、それはどうもできない、という状況まではっきりした。
 しかし、それははっきりしたんですが、皆さんが一番問題と考えて指摘をしておられる、その女性が強制的に連行されたものであるかどうかということについては、文書、書類ではありませんでした。女性を強制的に徴用しろといいますか、本人の意思のいかんにかかわらず連れてこい、というような命令書があったかと言えば、そんなものは存在しなかった。調べた限りは存在しなかったということは申し上げていいと思うんです。
 ただ、そこで考えなければならないことはそういう資料がなかったということは、資料がないんだからなかったんだ、と決められるかどうか。逆に言えば、資料がなかったのにあったと言えるかと言えば、これもまたその逆でございまして、言えることは「資料がなかった」ということは事実としてはっきりさせておかなければいけない。
 ただし、資料はありませんでしたが、もろもろ様々な人たちの発言などを聞いていると、やはりいろいろなことがあったのではないかと。全く非公式に、これはそう簡単なことではなかったのではないか、と思える節もある。それは何と言ってもあのころのわが国の状況、これはもう命がけでやるか、やられるか、という戦争をしようというときですから、軍隊の持つ強制力といいますか、軍隊の持つ権力というものは絶大であって、軍に「こういうことをしてほしい」と言われれば、それに対して、「そうかもしらんが、私はそれはできません」ということが言えるかどうか。
 それは一人の女性だけではなくて、極端なことを言えば、高級官僚といえども、さらには政治家といえども、絶対にとは言いませんが、これに反する意思を述べるということはなかなかそう簡単ではなかったのではないか、ということも推測できると思うんです。これはあくまでも推測です。(中略)
 そういう中で、資料がない、つまり書類がない以上はどうするかと言えば、書類がない以上はやはりそれにかかわっていたと思われる人たちの証言もまた聞くべきだという議論があって、それはそうだね、と。しかし、では、誰がかかわっていたか、どうやってわかるんだという問題もあるわけです。「私はかかわっていましたよ」と本人が言ったって、本当にかかわっていたかどうかは証明のしようがないではないか、何か証明すべきものがあるかということになると、それもなかなか難しいということもあったわけです。現在も現存をすると思いますが、韓国にはそういう人たちが集まり、そういう人たちを支える組織というものも複数があって、その複数の組織からいろいろな意見が出てくるという話も聞いておりまして、我々としてもそういう人たちの意見も聞いたらいいではないかということになったわけです。(中略)
 で、何人かの人の証言も聞きました。それはいま申し上げたようにプライバシーの問題もあるので、どこで、誰々さんから聞いた話はこうですよ、ということは外には一切出さない。しかし、それが本当かね、どうかね、という話は、いろいろな人が聞いてきて、あれは本当ではないのではないかとか、いろいろなことを言う人も中にはあったわけです。
 私はその証言を全部拝見しました。「その証言には間違いがある」という指摘をされた方もありますが、少なくとも被害者として、被害者でなければ到底説明することができないような証言というものがその中あるということは重く見る必要がある、というふうに私は思ったわけでございます。(後略)》

 要は、慰安婦募集における官憲による強制は、何も証拠はなかったけども、韓国人の元慰安婦の証言を聞くとそういうようなことがあった気もするので強制性を認めたという話です。ふぅ。私は、この元慰安婦への聞き取り調査内容について、外務省と内閣府に情報公開請求をしましたが、プライバシーを理由に却下されました。

 ちなみに、この河野氏の講演後の質疑応答で、「軍がそこに歩いている女性を強制的に連れてきた事実というのは本当にあったのかどうか。このことが、今、実は外国で問われているわけです。(中略)日本という国はとんでもない国だ、そこに歩いている女性を強制的に軍隊が引っ張ってきてセクシュアル・スレイブとして使ったんだと。そういう印象を与えて、そしてそのことが広がっているのが問題」だと指摘し、河野氏にかみついてのが、いま復党問題で話題になっている衛藤せい一氏でした。

 当時、この議連の代表(会長)が中川昭一氏で、実質的なナンバー2の幹事長が衛藤氏、ナンバー3の事務局長が安倍晋三氏でした。マスコミは、衛藤氏の復党問題に続いて、今度は中川氏の中国脅威論を槍玉にあげていますね。安倍氏と中川氏が朝日新聞の捏造記事で攻撃されたことは記憶に新しいですが、多くのマスコミが嫌い、好んで攻撃する議員とは、どういう議員であるかが、分かるような…。

 あと、本日は先日のエントリで紹介した、マイク・ホンダ下院議員に公開質問状を出している「史実を世界に発信する会」の茂木弘道事務局長からファクスが届きました。ホンダ氏に続き、米下院の国際問題委員会メンバー全員に手紙を出して、対日非難決議案の不当性を訴えたそうです。また、この問題で日本の外国人記者クラブの所属記者80人に対してはプレスリリースを流したそうです。ただ頭が下がります。


引用元: 「河野談話」に対する河野氏本人の説明:イザ!,
http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/124549/


沖縄・渡嘉敷島で昭和20年に起きた住民集団自決について、那覇市在住の照屋昇雄氏が、60年以上たって「軍命令は創作」だったと勇気ある証言をしてくれました。ろくな根拠もなしに軍による強制と記述している歴史教科書の一刻も早い訂正が求められるところですね。久しぶりに心からうれしいニュースでした。


 旧日本軍の行為については、ほかにも南京事件のように誇大というのもバカらしいほどめちゃくちゃな宣伝工作が行われている問題もありますね。その中でも、日本人自らが世界における日本のイメージを「セックススレイブの国」に貶めたのが、平成5年に当時の河野洋平官房長官が出した慰安婦関係調査結果発表に関する内閣官房長官談話、いわゆる「河野談話」でした。


 これは、元慰安婦とされる韓国女性からの聞き取り調査のほかは、資料も根拠もなしに旧日本軍に慰安婦調達の強制性を「政治決断」だけで認めた最悪の談話でした。河野氏や当時の宮沢首相は、韓国の要請にしたがって強制性を認めることで、この問題に決着がつくと愚かな判断を下し、すべての日本人に耐え難い恥辱の烙印を押しました。


 私は正直言って、もし地獄というものがあるのなら、河野氏は間違いなくそこに行くだろうと思っています。過激なようですが、それぐらい怒っています。以下がその河野談話の要旨です。


《調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接、あるいは間接にこれに関与した。当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。(平成5年8月4日)》


宮沢氏や河野氏のナイーブな政治判断とは裏腹に、韓国はその後、国際社会で日本軍による慰安婦強制連行・慰安婦の性奴隷化という虚構を撒き散らし、現在のノムヒョン大統領に至っては、日韓基本条約を無視して「日本は賠償すべきは賠償しなければならない」とまで妄言を吐きました。さすがに、日本政府は相手にしていませんが。


さてそこで、河野談話ができる際の事務の官房副長官(官僚のトップ)だった石原信雄氏に対し、産経新聞が昨年7月に行ったインタビューの詳録を紹介したいと思います。これは紙面化されていますが、字数の制限がある紙面からあふれた分まで伝えることで、あるニュアンスを感じ取っていただければと考えました。埋もれさすには惜しい内容だと思うのです。


Q 慰安婦と政府のかかわりを示す資料はあったのか


石原氏  国外、国内、ワシントンの公文書館も調べたし、沖縄の図書館にも行って調べた。それこそ関係省庁、厚生省、警察庁、防衛庁とか本当に八方手をつくして調べた。当然といえば当然だが、日本側の公文書では、慰安婦といわれるような女性を強制的に募集するような文書はない。八方手をつくしたがそんなものはない。日本政府が政府の意思として韓国の女性、韓国以外も含めて、強制的に集めて慰安婦にするようなことは当然(なく)、そういうことを裏付けるデータも出てこなかった。(慰安婦の)移送・管理、いろんな現地の衛生状態をどうしなさいとかの文書は出てきたが、本人の意に反してでも強制的に集めなさいという文書は出てこなかった。当たり前で、国家意思としてそういうことはありえない。(中略)少なくとも、政府の意思として動いた人にそういうことはなかったと思う。文書にないんですから。ただし、戦争が厳しくなってから「(軍が人数を)割り当てした」「軍の方からぜひ何人そろえてくれと要請があった」と、そういう要請はある。それは、従来であれば、業者の人たちが納得ずくで話し合いで本人の同意のもとに数をそろえた。ところが、戦争が厳しくなってからどうも、ノルマを達成するだめに、現地判断で無理をしたのが想定された。(中略)(韓国女性に)ヒアリングした中には、意に反して(慰安婦)にされたと涙ながらに話した人がいた。


Q 意に反するといっても、親が本人に黙って業者に売ったケースもありうる


石原氏 そこはああいう戦時下のことだから。しかも個人の問題だから、親との話がどうだとかはこれは追究しようがない。(中略)裏づけ、本人の親と会うとか、当時の関係者と会うとかそういう手段はない。もっぱら本人の話を聞くだけだ。


Q これで日韓間の騒動が収まるとの政治判断によって、かえって問題は大きくなった。訴訟を起こした韓国女性のいう自らの経歴も二転三転している


石原氏 我々はできるだけ客観的事実を聞き取るための条件設定努力を続けたけど、それは限界がある。こっちに捜査権があるわけじゃない。誰がどうだったか、金銭関係はどうだったかとか調べることはできない。それは不可能だ。そこは日本政府の意を受けて強制したかどうかは分からない。(中略)我々は、当時の関係者として、いかなる意味でも日本政府の意を体して日本政府の指揮命令のもとに強制したということは認めたわけじゃない。


Q 河野談話からは、甘言、強圧の主体が誰かが欠落している


石原氏 普通の談話であれば、物的証拠に基づく手法ではああいうものはできない。だから、論者によっては当然、そこまでいかないのになぜ強制を認めたのかという批判はあるでしょう。あの当時、「絶対強制なんかなかった」「とんでもない話だ」と反対意見もあったし。だけども、本人の意思に反して慰安婦にされた人がいるのは認めざるをえないというのが河野談話の考え方、当時の宮沢内閣の方針なんですよ。それについてはいろいろとご批判はあるでしょう。当時からあったが。


Q 石原さんは反対しなかったのか


石原氏 私は補佐役だから、弁解なんかしない。過程はいろいろあるが、政府として内閣として補佐にあたった以上は私は全責任を負わないといけない。個人的にどうだとか言ってはいけない、組織の人間としては。まとまるまでは中で議論があったが、まとめた以上はそこにいた人間は逃げられない。


Q 河野談話が出された結果、国連人権委員会などでも「セックススレイブ」という言葉が使われるようになった


石原氏 それはもちろん、そういうことに利用される可能性は当然ある。限られた状況の中で意に反した人がいたと認めれば、やはり訴訟している人たちは一事が万事、すべてが強制だと主張しているが、それを認めることになるというリスクは当然、あの談話にはあるわけだ。それは覚悟した。そういう風に言われるだろうと。だから出すべきでないという意見も中にはあった。だけど、政府として決めたんだから、我々関係者は少なくとも弁解がましいことはいえない。


Q 宮沢首相の政治判断か


石原氏 それはそうですよ。それは内閣だから。官房長官談話だけど、これは総理の意を受けて発表したわけだから、宮沢内閣の責任ですよ、もちろん。


Q 国家賠償請求につながるとは思わなかったのか


石原氏 全く想定していない。それはもちろん、あの談話をまとめるにあたっては外務、財務、法務省すべて関係者は承知している。われわれはあの談話によって、国家賠償の問題が出てくるとは全く想定していなかった。当然、当時の韓国側も、あの談話をもとに政府として要求するということはまったくありえなかった。(中略)慰安婦問題はすべて強制だとか、日本政府として強制したことを認めたとか、誇大に宣伝して使われるのはまことに苦々しくて仕方ない。もちろん、こういうものをいったん出すと悪用される危険はある。外交関係とはそういうものだから。だけど、あまりにもひどいと思う。(中略)それが(韓国は)今日まで、いろんな国際会議で日本政府が政府の意図で韓国女性を強制的に慰安婦にしたと言っているが、全く心外そのものだ。(後略、おわり)


すいません。これでもところどころ端折ったんですが、随分と長くなりました。石原氏は、慰安婦問題で二度、産経新聞の取材に応じてくれた(二度とも私はその場にいました)こともあり、少なくとも彼の誠意と善意は本物だと感じています。一方、この問題の主役である河野氏は、産経新聞のインタビュー申し込みに応じようとはしません。朝日新聞のインタビューには応じ、自己弁護と自己正当化を試みていましたが。


インタビューを通じ、実は事務方の石原氏は河野談話に反対だったことが浮かんできますが、彼は「批判は甘んじて受ける」というスタンスですね。一方、無意味どころか有害な韓国との政治取引で日本と日本人の名誉に深い傷を負わせた河野氏は反省もせず、今日まで反日言動を繰り返しています。河野談話が、仮に善意や過去への贖罪意識からできたものだとしても、私はやはり許すことができません。


別に河野氏やその類の人に向けた言葉ではないかもしれませんが、ニーチェの次の言葉で締めくくりたいと思います。


《まことに、わたくしは、同情することにおいて至福を覚えるような、あわれみ深い者たちを好まない。彼らにはあまりにも羞恥心が欠けている。》

《ああ、同情深い者たちにおけるよりも大きな愚行が、この世のどこで行われただろうか?また、同情深い者たちの愚行以上に多くの悩みをひき起したものが、この世に何かあっただろうか?》


引用元: 河野・慰安婦談話と石原元官房副長官の証言:イザ!,
http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/30961/