福島第一原子力発電所の復旧作業

東電に対して幻想にも近いもの(会社が全知全能で、如何なる場合にも最善の結果を出せる)を抱いていたのではないか?

前田正晶氏の文を引用させていただく。

「東電はベストを尽くしていた」東電の清水社長は最新の記者会見で何度このフレーズを用いたか。

これほど無意味で且つ何を表現したいのか不明なカタカナ語のフレーズはない。公式な場での使用を回避すべきである。

、私は「東電はベストを尽くしたものだ」と思って見てきた。あれがあの会社にこの難局で出来る最善の仕事なのである。メディアは何か東電に対して幻想にも近い錯覚を起こしているだけだ。

彼らは「あの会社が全知全能で、如何なる場合にも最善の結果を出せる」という前提でものを見ているから、記者会見の席上で社長に「何がベストを尽くしたと言えるのか」と迫ったのである。見当違いだ。

話を一寸変えるが、私は知る人ぞ知るカタカナ語和製英語排斥論者である。しかし、カタカナ語信者は直ぐに「自己ベスト」だの「ベストを尽くす」等という使わずもがなの言葉を使ってしまう。

“自己ベスト”は奇怪な造語で「自己最高記録」と素直に言えば良いだけだ。英語にすれば"personal record"で、何処にもベストないしは最高などない。私は「ベストを尽く す」等よりも「全力を挙げて云々」で十分だと思うし、それでなければ「最善の力を注いだか努力をした」と言って何処が悪いのか解らない。

話を東電に戻そう。私は全知全能でも万能でもない東電は、あれでも持てる力を全部出し尽くしたのである。あれが実力なのだ。それであの程度だったのであるだけだ。それほど危機管理が出来ておらず、危機に備えた準備もなかっただけのことだ。

それにも拘わらず、能力の限界までやってみた社長に「何処がベストを尽くしたのか」(結果が余りにも酷いではないか)などと責めて見ても前には進まない。彼は「コストカッター」だったかも知れないが、トラブル・シューターだったことはないのだ。

もっと解り易い例をあげてみれば、マスコミは「東電は100メートルを10秒で走れる会社」と決め打ちして、全力を挙げ走っても15秒にしかならず息も絶え絶えになっているところに「君は全力を出していなかった」と寄ってたかって袋叩きにしたのである。

しかも、電気事業法でその上位に位すると思っている菅内閣は、東電が15秒走者とは露知らず、そのランニング理論を頭から信じているし、素人のくせに横からもっと足を上げろの手を触れのと余計なことを言って、15秒走者を攪乱しているのだ。

しかも、その拙いレース振りは今や全世界に中継され、結果は詳細に報道されてしまった。結果として多くの外国人が我が国を去り旅行者も避けて通るようになってしまった。

この原因と結果とその責任が奈辺にあるのかは、菅内閣と東電以外はよく解っているはずであろう。責任者は先ず物事を良く見る目を養ってから、言葉を選んで報道して貰いたいものだ。(前田 正晶)