田中角栄さんが周恩来から「言必信行必果」

この言葉は、1972年9月29日の日中国交正常化の時に、周恩来首相が田中角栄首相に贈った言葉で、また2006年10月8日、温家宝首相が安倍晋三首相に語った言葉である。

が、安岡正篤先生は言う。

<ウシオ電機会長・牛尾治朗新井正明著『安岡正篤先生に学んだ私の人生』致知出版社刊より)

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いま教科書問題などで中国との関係がギクシャクしていますが、もしいま安岡先生がいらっしゃれば、中国の日本に対する態度というのはずいぶん違っていたでしょうね。

思い出すのは、田中角栄さんが周恩来から「言必信行必果(げんかならずしん・ぎょうかならずか)」という色紙を贈られて得意満面の姿が新聞紙上をにぎわしたときの話です。一見、素晴らしい人物評価に見えるんですね。しかし安岡先生がすぐに、それは『論語』の人物評の一片で、三流の人物を表わすことを見抜かれて、周恩来の非礼を指摘されました。

「大平君がそばにおりながら、そういうことがわからないというのは、恥ずかしい話だ」とおっしゃったんです。大平さんのことは先生も非常に買っておられたんですね。それで、私はすぐ大平さんのところへ行ってそのことを伝えたら、大平さんは、「いや、参りました。言われてみれば、まったくその通りだ」とおっしゃったんです。

よく私は、安岡先生に言われました。

伊藤博文なんかが三十代で中国に行ったときに、彼の持っている教養と見識に、当時の中国の幹部が驚愕した」と。そのくらい明治維新の若者っていうのは、単なる革命の意欲だけではなくて、本当に学を積んでいたんですね。

「治朗さん、そういうことをあなたたちは忘れちゃ駄目ですよ。明治維新というのはね、あの人たちの教養と見識による賜物なんです」と言われていたんです。

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田中角栄と周恩来:安岡正篤「一日一言」 | 致知出版社-安岡正篤先生のページ

関連:

論語 巻 第七
子路第十三の二十

子貢問曰、何如斯可謂之士矣、子曰、行己有恥、使於四方不辱君命、可謂士矣、曰、敢問其次、曰、宗族稱孝焉、郷黨稱弟焉、曰、敢問其次、曰、言必信、行必果、脛*脛*然小人也、抑亦可以爲次矣、曰、今之從政者何如、子曰、噫、斗肖*之人、何足算也、

子貢問いて曰わく、何如(いか)なるをか斯れこれを士と謂うべき。子の曰わく、己れを行うに恥あり、四方に使いして君命を辱(はずか)しめざる、士と謂うべし。曰わく、敢えて其の次を問う。曰わく、宗族(そうぞく)孝を称し、郷党(きょうとう)弟を称す。曰わく、敢えて其の次を問う。曰わく、言必ず信、行必ず果(か)、コウコウ*然たる小人なるかな。抑々(そもそも)亦た以て次ぎと為すべし。曰わく、今の政に従う者は如何。子の曰わく、噫(ああ)、斗(と)ショウの人、何んぞ算(かぞ)うるに足らん。

子貢がお訊ねして言った、「どのようでしたら、士の人と言えるでしょうか。」先生は言われた、「我が身の振る舞いに恥を知り、四方に使いに出て君の命令を損なわなければ、士だと言えるよ。」「しいてお訊ねしますが、その次は」「一族から孝行だと言われ、郷里からは悌順だと言われる者だ。」「尚、しいてお訊ねしますが、その次は」「言うことはきっと偽りなく、行うことはきっと潔い。こちこちの小人だがね、でもまあ次に挙げられるだろう。」「この頃の政治をしている人はどうでしょうか。」先生は言われた、「ああ、つまらない人たちだ。取り上げるまでもない。」