みどりの日



次に四月二十九日。この日を今は「昭和の日」と呼ぶ。しかし、つい一昨年まで、この日は「みどりの日」と呼ばれていたのを覚えておられることと思う。
 平成六年の衆議院の委員会で私と政府との間で、次のような問答があった。
 西村「何故、四月二十九日が国民の祝日なのか?
 役人「昭和天皇の誕生日として長年にわたり国民に親しまれてきたから
 西村「では、昭和天皇にちなむ名前を何故伝えようとしないのか
 これが、平成の「みどりの日」の欺瞞性に関する国会に於ける最初の質問であった。
 つまり、昭和天皇とともに全国民が苦闘し多くの将兵が祖国のために命を捧げた昭和という激動の時代を、戦後政治は村山富市談話に象徴される「自虐史観」で封印しようとした。
 その為に、天皇誕生日である四月二十九日の「休日性」だけを盗み「昭和」を国民の記憶から消し去ろうとしていたのだ。
 まさに巧妙な「戦後の偽装」である。
 しかし、「昭和」の名を取り戻そうとする国民運動、つまり、日本民族の記憶を守る運動は、以後地道に続けられ、約十年後に四月二十九日を「みどりの日」から本来の昭和天皇にちなむ「昭和の日」へと復元する祝日法の改正が実現したのである。
 既に「昭和は遠くなりにけり」と言われるようになってきた。危ないところであった。「みどりの日」がこれ以上続けば、明治天皇の「明治節」と同じように、この日が昭和天皇のお誕生日であるという記憶が国民から失われるところであった。
 ちなみに、明治節つまり明治天皇のお誕生日である十一月三日は、連合軍による占領下に「文化の日」と変えられ、今は十一月三日に明治天皇とともに全国民が奮い立った明治という時代を偲ぶという意義は忘却の彼方に失われている。
 これを仕組んだのは、連合軍GHQである。そして、平成になったときの政府も昭和天皇のお誕生日に関して同じことをした。
 ということは、日本政府はまだGHQの手下なのだ。
やはり、八尾の三宅博さんの言う「日本政府総督府説」は正しい。


引用元: 西村眞悟ホームページ・眞悟の時事通信
"http://www.n-shingo.com/cgibin/msgboard/msgboard.cgi?page=423"


古森義久(産経新聞ワシントン駐在編集特別委員・論説委員)
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