謝罪決議と村山談話の成立過程 (備忘)


「卑劣な手法によって成立した「謝罪決議」と「村山談話」は、踏襲不要」


「良い国日本の再興」 日本戦略の研究会(日戦略研)   2006年10月第3週                npslq9@yahoo.co.jp
★ 表題: 卑劣な手法によって成立した「謝罪決議」と「村山談話」は、踏襲不要
 061018        担当: キャサリン・クー cc3ln@yahoo.co.jp
◇ 官報によると、1995年6月9日(金)19時53分―19時59分のわずか6分間の衆院本会議において、「我が国が過去に行った数々の植民地支配や侵略行為に対して、深い反省の念を表明」する内容の、いわゆる「謝罪決議」(歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議案)が採択されました
。 ◇ しかし、この決議採択は、次項に述べるように、極めて陰謀に富んだ卑劣な手法によって成立した「だまし討ち」で、末永く尊重できる如き性質のものでは、絶対にあり得ません。参院は、かかる謀略(不当な・詐欺的)内容の採決を拒否しております。
◇ 1995年6月9日(金)「本日は会議なし、各議員は選挙区に帰られたし」との通知が衆院内にまわされ、かかる議決に反対しそうな議員が、衆院を後にしました。その隙を狙って、土井たか子議長が急遽本会議の開会ベルを押し、山崎拓氏ら(の反日売国奴連中)が上記「謝罪決議」を提出しました。衆院議員総数509人の内、265人が欠席230人の賛成によって、突如可決したものであります。
◇ 村山談話」の成立の実態(状況)にも、問題があると言わざるを得ません。1995年8月15日、当時の村山首相は、学者(おそらく反日売国奴連中)・谷野作太郎外政審議室長らの少数の官邸スタッフと練り上げた「村山談話」を閣議に持ち込み、古川貞二郎官房副長官が読み上げ、各閣僚があっけにとられて反論もない間に、黙認的(?)に承認されたと言われています。